元Fight野郎

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【2019.08.02 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
堕 五輪星

 

 

 7月16日(月・祝) マサ・サイトーが亡くなられたとの情報が、健介オフィスから流された。パーキンソン病と闘っていたが容体が急変し、14日未明に旅立たれたとのこと。75歳。

 
 インターネットを含む各メディアではアントニオ猪木との巌流島での一戦がハイライトとして紹介されているが、一匹狼として米マットで生き抜いてきたことこそ評価されるべき。そういえば『週刊ファイト』(notネット版)では一貫して「マサ・サイトー」「Mr.サイトー」と表記されてきたのはその表れともいえよう。

 
 東京五輪(1964年)レスリング日本代表の肩書を引っ提げてプのプロ転向。東京プロレス旗揚げ前の公開練習では、新兵器としてアントニオドライバーの写真が大きく掲載されていたが、撮影用以外でアントニオ猪木のスパーリングパートナーを務めていたのはサイトー。実力者であるサイトーを相手に指名したのは、アメリカ仕込みのグラウンドテクニックが“本物”であることを暗にアピールする狙いがあった。

 
 東京プロレスが活動停止となり、所属選手は日本プロレスと国際プロレスに身を預ける中、サイトーはアメリカに飛び立つ。訴訟合戦にまで発展したリング外のゴタゴタに嫌気が差したのと、実力で勝負してやるとの決意から動いたもの。そして米マットではNWA、AWA、WWF(当時)と三大団体で活躍した。いや、日本マットも含めれば世界四大団体で活躍したといってもいい。

 

 AWAではニューヨークで大スターになる前のハルク・ホーガンと抗争を展開。当時のホーガンは新日マットと往復しながらベビーフェースで売り出されていたが、まだまだ試合運びには何があった。連日闘いながら、トップスターとしての闘い方を教えていたのがサイトーだった。いうなれば実戦コーチ。猪木のパートナーとして闘い方を盗んで成長していったといわれるホーガンだが、対戦相手として彼を成長させたのはサイトーだった。

 
 サイトーの実力はレスラー仲間はもちろん、プロモーター、ブッカーからは信頼されるほど。日本でいうところの道場破り、腕自慢の挑戦者が現れると、サイトーが相手役に指名されたのはその表れ。無敗だったのはいうまでもなく、言い訳ができないほどケチョンケチョンにやっつけたという。「本気で怒らせたら何をするかわからない」とレスラー仲間であっても震え上がるほど。レスリングだけでなく、ケンカでも滅法強かった。

 
 そんなサイトーと大ゲンカしたのがミスター・ヒト。サイトーが国際プロレスに参戦していたときの後楽園ホール大会での控室での出来事だ。

 

 マッチメーク(アニマル浜口との一騎打ち)に不満をぶつけたサイトーは、「こんな試合やってられない」とボイコットも辞さない構えだった。その姿を見て怒ったのが、同時期にフリーとして参戦していたミスター・ヒト。「あんた、新日本から派遣されて来たのかもしれんけどね、誰がギャラを払ってると思ってんだ?」と言うなり、つかみ合いのケンカを始めた。渋々、当初発表されていた通りのカードをこなしたサイトーだったが、試合に不満をぶつける形となり、結果はサイトーの反則負け。控室での大ゲンカの場所に居合わせた上田馬之助は、「あのサイトーにケンカを売るなんて、安達(ミスター・ヒト)もすごいよなあ……」と漏らしていたという。

 
 2011年1月、ロスで開催された「レッスル・リユニオン5」に招へいされたサイトー。イベント内で開催されたPWGの大会では「レジェンドバトルロイヤル」のゲストとしてハーリー・レイス、アイアン・シーク、ビル・アプター記者とともに紹介された。リングに向かう足取りもしっかりしており、リングインするやロープワークと空手のパフォーマンスを披露。コンベンションではファンとの撮影やサインに応じていた。

 
 WWF世界タッグを獲得した際のパートナーであるミスター・フジ、ウィスコンシン州の刑務所に収監された事件のきっかけを作ったケン・パテラとも再会。サイトーの米マットでの歴史を凝縮したイベントだったが、中でもリング上でのスペシャル撮影会では小道具としてマクドナルドのエプロンとテイクアウト用の袋、レンガが用意され、希望者はそれを手にサイトー、パテラとのスリーショットが撮れるというのだから驚いた(深夜、マクドナルドの店舗に買い出しに行ったパテラだったが、閉店時間で対応してくれなかったことに腹を立ててレンガの投げ入れ、ガラスを破損。そのままホテルに戻ったところ、通報を受けた警官が踏み込んで来て乱闘になったというのが事件の発端。事件を知らないサイトーがドアを開けたところ、いきなり催涙スプレーを噴射され、取り押さえようとした警官を次々と投げ捨てたのが暴行事件の顛末。それにしても、目が見えない状態で20人とも伝えられる警官を返り討ちにしたのだから、その強さは相当なもの。ただ、1人が足を骨折したことで実刑となったが、よく警官が発砲しなかったものだ)。

 
 とにかく、エピソードには事欠かない。もう、サイトーのような破天荒なレスラーは出てこないだろう。

 

 R.I.P。

 

【2018.07.17 Tuesday 16:59】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
一路九州

 7月7日(土) 始発から山陽新幹線は運転を見合わせている。運転再開の見込みは「早くても15:00」との情報。18:00までに現地入りしないといけないので、それまで待っていられない。

 
 相変わらず、福岡行きの便へ全便満席。長崎や鹿児島行きの便には多少空席があるものの、到着してからの足が確保されるかどうかは微妙。いったん東京に出てから福岡に向かうしかないか……と検索していたところ、松山経由なら17:30に福岡空港到着できるルートが出てきた。定刻通りに運行されるかどうか微妙だが、その時点ではこれが最善策。1席だけ空席もあるという。とりあえず予約を入れる。ただ、当日なので正規運賃。新幹線の3倍以上になるが、仕方ない。

 

 急いで大阪空港へ向かうと、早速「遅延」の表示。それでも松山空港での乗り継ぎには間に合いそう。迷ってしても仕方ないので、「行けばわかるさ」状態で航空券を購入。なんとか1時間遅れで出発。

 

 松山空港での乗り継ぎ時間は20分。いったん到着ゲートに出て、再びセキュリティーチェックを受けなければならないとのこと。保安検査場に急いで向かい、なんとか10分前には搭乗ゲートにたどり着いた。すると「使用機材の到着遅れで、出発が45分遅れます」のアナウンス。となると、18:00までに現場到着は不可能。といっても引き返すわけにはいかない。先方に連絡を入れて、使用機材の到着を待つ。

 
 結果、40分遅れで出発。18:20ごろに福岡空港に着陸。手荷物を引き取り、その足で会場に急行。なんとか1時間遅れで飛び込み、すぐに取材の準備をしてリングサイドへ。ちょうどアンドレザ・ジャイアントパンダがリングインしたところだった。

 

 前日の夜に陸路で博多に向かったビリーケン・キッドは、時間までに会場に到着することはできず。仕方なく欠場に。タッグ王座に挑戦する三原一晃は、知人が予約していた航空券を振り替えてもらって福岡入り。試合に穴をあけずに済んだという。

 

 全試合終了後、あらためて挨拶を交わした関係者からは、「よく来れましたね」と声をかけられた。10年目にして初の福岡国際センター進出。やはり豪雨の影響で観客動員は苦戦したものの、会場は地域に愛されていることが肌で感じられる素晴らしい雰囲気に包まれていた。

【2018.07.08 Sunday 03:28】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
豪雨襲来

 7月6日(金) 西日本を襲った豪雨で、始発から鉄道各社が運転を見合わせている。夕方になっても大半の路線が大幅な間引き運転をするのがやっとの状態。明日の運行も見通しが立たない。明日は博多へ行かなければならないのだが……。

 

 すでに指定席は確保しているのだが、時間通りの運転はまず見込めない。空路で福岡入りする手はあるのだが、すでに各航空会社とも全便満席状態。陸路を選択しようにも、山陽及び中国道はともに不通区間が。

 

 いろいろ考えても、どうしようもないので、天候の回復を祈るのみ。
 

【2018.07.07 Saturday 00:17】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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