7月16日(月・祝) マサ・サイトーが亡くなられたとの情報が、健介オフィスから流された。パーキンソン病と闘っていたが容体が急変し、14日未明に旅立たれたとのこと。75歳。
インターネットを含む各メディアではアントニオ猪木との巌流島での一戦がハイライトとして紹介されているが、一匹狼として米マットで生き抜いてきたことこそ評価されるべき。そういえば『週刊ファイト』(notネット版)では一貫して「マサ・サイトー」「Mr.サイトー」と表記されてきたのはその表れともいえよう。
東京五輪(1964年)レスリング日本代表の肩書を引っ提げてプのプロ転向。東京プロレス旗揚げ前の公開練習では、新兵器としてアントニオドライバーの写真が大きく掲載されていたが、撮影用以外でアントニオ猪木のスパーリングパートナーを務めていたのはサイトー。実力者であるサイトーを相手に指名したのは、アメリカ仕込みのグラウンドテクニックが“本物”であることを暗にアピールする狙いがあった。
東京プロレスが活動停止となり、所属選手は日本プロレスと国際プロレスに身を預ける中、サイトーはアメリカに飛び立つ。訴訟合戦にまで発展したリング外のゴタゴタに嫌気が差したのと、実力で勝負してやるとの決意から動いたもの。そして米マットではNWA、AWA、WWF(当時)と三大団体で活躍した。いや、日本マットも含めれば世界四大団体で活躍したといってもいい。
AWAではニューヨークで大スターになる前のハルク・ホーガンと抗争を展開。当時のホーガンは新日マットと往復しながらベビーフェースで売り出されていたが、まだまだ試合運びには何があった。連日闘いながら、トップスターとしての闘い方を教えていたのがサイトーだった。いうなれば実戦コーチ。猪木のパートナーとして闘い方を盗んで成長していったといわれるホーガンだが、対戦相手として彼を成長させたのはサイトーだった。
サイトーの実力はレスラー仲間はもちろん、プロモーター、ブッカーからは信頼されるほど。日本でいうところの道場破り、腕自慢の挑戦者が現れると、サイトーが相手役に指名されたのはその表れ。無敗だったのはいうまでもなく、言い訳ができないほどケチョンケチョンにやっつけたという。「本気で怒らせたら何をするかわからない」とレスラー仲間であっても震え上がるほど。レスリングだけでなく、ケンカでも滅法強かった。
そんなサイトーと大ゲンカしたのがミスター・ヒト。サイトーが国際プロレスに参戦していたときの後楽園ホール大会での控室での出来事だ。
マッチメーク(アニマル浜口との一騎打ち)に不満をぶつけたサイトーは、「こんな試合やってられない」とボイコットも辞さない構えだった。その姿を見て怒ったのが、同時期にフリーとして参戦していたミスター・ヒト。「あんた、新日本から派遣されて来たのかもしれんけどね、誰がギャラを払ってると思ってんだ?」と言うなり、つかみ合いのケンカを始めた。渋々、当初発表されていた通りのカードをこなしたサイトーだったが、試合に不満をぶつける形となり、結果はサイトーの反則負け。控室での大ゲンカの場所に居合わせた上田馬之助は、「あのサイトーにケンカを売るなんて、安達(ミスター・ヒト)もすごいよなあ……」と漏らしていたという。
2011年1月、ロスで開催された「レッスル・リユニオン5」に招へいされたサイトー。イベント内で開催されたPWGの大会では「レジェンドバトルロイヤル」のゲストとしてハーリー・レイス、アイアン・シーク、ビル・アプター記者とともに紹介された。リングに向かう足取りもしっかりしており、リングインするやロープワークと空手のパフォーマンスを披露。コンベンションではファンとの撮影やサインに応じていた。
WWF世界タッグを獲得した際のパートナーであるミスター・フジ、ウィスコンシン州の刑務所に収監された事件のきっかけを作ったケン・パテラとも再会。サイトーの米マットでの歴史を凝縮したイベントだったが、中でもリング上でのスペシャル撮影会では小道具としてマクドナルドのエプロンとテイクアウト用の袋、レンガが用意され、希望者はそれを手にサイトー、パテラとのスリーショットが撮れるというのだから驚いた(深夜、マクドナルドの店舗に買い出しに行ったパテラだったが、閉店時間で対応してくれなかったことに腹を立ててレンガの投げ入れ、ガラスを破損。そのままホテルに戻ったところ、通報を受けた警官が踏み込んで来て乱闘になったというのが事件の発端。事件を知らないサイトーがドアを開けたところ、いきなり催涙スプレーを噴射され、取り押さえようとした警官を次々と投げ捨てたのが暴行事件の顛末。それにしても、目が見えない状態で20人とも伝えられる警官を返り討ちにしたのだから、その強さは相当なもの。ただ、1人が足を骨折したことで実刑となったが、よく警官が発砲しなかったものだ)。
とにかく、エピソードには事欠かない。もう、サイトーのような破天荒なレスラーは出てこないだろう。
R.I.P。