元Fight野郎

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【2019.08.02 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
新社長

 6月20日(水) 新日プロいわき大会取材。

 

 取材の準備をしていると、ハワード・ジョージ・メイ新日プロ新社長が会場入り。開場前、取材準備が一段落したところで、スタッフに仲を取り持っていただき、新社長と名刺交換して挨拶。その後、雑談。せっかくだからと、思っていることをズケズケと伝える。
6・9大阪城ホールでリング上からファンに社長就任の挨拶をしたメイ社長だったが、「この業界って、どちらかというと排他的なんですよね。これまでも何人か外部から社長に就任されましたが、どこかファンは距離を置いていたんですよね。でも、メイ社長は受け入れられて。意外でしたね。通路をヤングライオンのように走ってリングインした瞬間、ファンとの間にあった壁が取り払われた感じで。それに、第一声が日本語だったでしょ? しかも訛りのないクリアな日本語で。あれもファンからすれば意外だったでしょうね。あの二つで一気に距離が縮まりましたね」と伝えると、「まあ、私はこの業界ではヤングライオンですから」「最初は英語で挨拶して、そのあと日本語で。“実は日本語もしゃべれるんですよ”ってアピールするのがいいっていうアドバイスもあったんですけど、リングに上がったときの感覚で決めました」との返事。

 

 逆に「今日は、どういうところを見たらいいですか?」と尋ねてこられたので、「本来、地方には地方のプロレスがあるんです。しかも、地方によってファンの好みは違ってるんです。地元の選手を応援するとか、クリーンな試合が好みとか、ケンカファイトが好みとか……。個人的には、その地方だけのストーリー展開があってもいいと思うんですけどね」など勝手な意見を伝える。

 

 開場後はファンと接していたメイ社長。ファン気質も変わったなあ……と感じた次第。
 

【2018.06.21 Thursday 01:17】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
超強戦闘機械終幕

 6月19日(火) 1枚の写真を手にスーパー・ストロング・マシン引退セレモニーが行われる後楽園ホールに向かう。

 

 会場入りすると、顔を合わせる関係者から地震の状況を尋ねられ、幸い自宅は大きな被害もなく、朝の通勤時間帯に起

こったこと、それによって交通がマヒして混乱が生じたことなどを伝える。

 

 セミファイナルが終了したところで、写真を取り出し、記者席にそっと置く。そして、メインのマシン引退記念試合。まずは増殖したマシン軍団が入場。その後、将軍KYワカマツに先導される形でS・S・マシンが姿を現す。相当、体調が悪く、会場前には関係者の間で「リングに上がるのもどうか……」という言葉が交わされていたが、ゆっくりした足取りでリングイン。やはりプロレスラーはリングを前にすると不思議な力が湧いてくるようで……。

 
 ○○が扮したスーパー・ストロング・マシン・ドンは、体形、動きが本家にそっくり。これにはホール後方で観戦していたタイガー服部レフェリーも苦笑い。試合では増殖した5人のマシンがS・S・マシンのシグニチャームーブを披露。本家以外に使い手のいない魔人風車固めで引退記念試合は幕を閉じた。

 

 一旦、バックステージに引き揚げてから引退セレモニーに移行。S・S・マシンとかかわりを持つ現役、OBが順次リングに上がってから花束が贈呈されたが、マスコミからの記念品贈呈の時間はなかった。マスコミからは写真パネルが贈られることが多かったが、その写真を選ぶのは楽しみだった。他社はベルト姿や思い出に残る試合から選んでいたが、個人的には海外武者修行時代の写真を選ぶことが多かった。その任を任されていたなら、やはりカルガリー時代の写真にしていただろうなあ……。

 

 セレモニーを終えたS・S・マシンはリングから飛び下りて姿を消した。それを見て、記者席に置いていた写真を引き揚げてバックステージへ。マスコミに囲まれて最後のコメントを発して控室に消えた。しばらくして素顔に戻ったS・S・マシン。そこで「最後、見ていただきました」とその写真を差し出した。セレモニー後はどこかしんみりした表情だったが、その瞬間、笑顔がこぼれた。そして、「ありがとうございました」と写真に向かって合掌。「ここまでやってこれたのは安達さんのおかげです」と言い残して会場を後にした。
 

【2018.06.20 Wednesday 01:35】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
超強機械へ…

 あの日、そのマスクマンは写真を手に大阪府立体育会館第2競技場のリング上にいた。静かに打ち鳴らされる10カウントゴングを聞いてバックステージに戻って来ると、記者に囲まれた。そして、こう口にした。

 

 「今日の昼過ぎにメールが1本届きまして、ミスター・ヒト、安達(勝治)さんが亡くなったという話です。私は知りませんが、平田という男が、とても悲しんでメールをくれました。27年ぐらい前ですか。彼はカルガリーで、安達の下で修行してました。プロレスの一からすべてをあの人に教えてもらったらしいです。朝から晩までつきっきりで、毎試合、必ず会場の隅で平田選手のファイトを見守り、毎日ダメ出しを出して、『こうしたらいい』『ああすればいい』というアドバイスも(あった)。彼にとって一番重要な1年間でした。私も悔しいです。もう1回、会いたかった。ご冥福を祈るだけです」

 

 2010年4月21日のことだった。

 

 そんなスーパー・ストロング・マシンのことを、カルガリーの師匠はこう語った……。
        ◇          ◇

 マシンは自分からカルガリーに来たんだよ。メキシコからオレの家(うち)に電話がかかって来てさ。メキシコで一緒だったジョージ(高野)とヒロ斉藤が先にカルガリーに来てたんだけど、1人になって寂しかったんじゃない? 後を追う形でやって来たよ。まあ、オレの方も2人いるのも3人いるのも同じだから、エアポートまで迎えに行ったよ。

 

 アイツってなかなかハンサムじゃない。オレは彼の顔を見て、これはインディアン(のキャラクター)にすればいいってピンときたよ。まあ、同じテリトリーに日本人が何人もいても仕方ないからね。

 

 そして(カルガリーに来た)次の日に頭をモヒカンに刈って、サニー・ツー・リバースとしてデビューさせたんだよ。でも、髪を刈ってるところを娘が見てて、「○○さんはインディアンじゃない!」って怒ってね、1カ月も口をきいてくれなかった(笑い)。

 

 彼のインディアン姿はピッタリでね。すぐに人気者になったよ。インディアン・リザベーションへ行ったらヒーローでね。酋長が下方にしていたトマホークを持って来て、「これを使ってくれ」ってプレゼントされてた(笑い)。

 

 誰ひとりとして彼がインディアンじゃないって疑う者はいなかったね。リング上でのダンスもサマになってたよ。オレが教えたというのに(笑い)。

 

 それにしても、英語が喋れないインディアンっていうのも珍しいよな。オレも「彼は父親がインディアンで、母親が日本人。カナダで生まれたけど、すぐに母親に日本に連れて帰られたんで、英語がわからないんだ」って説明したね。それでもみんな納得してるんだから、彼の変身は大成功だった。

 

 オレもいろいろアイデアを出してきたけど、彼のインディアン・レスラーは最高傑作だね。今からでも遅くないから、もう1回、モヒカンに戻してほしいね(笑い)。日本でも受けると思うよ。

 

 それでにしても彼は物静かな男だったよ。あまり大声を出して笑うってこともなかったし。そのわりには、しゃべると面白いジョークも言うんだよ。レスリングのタイプは違うけど、(ラッシャー)木村さんに似てるね。

 

 練習にしても1人で黙々とするタイプでね。カルガリーに来た時は90kgもなかったのに、1年後には110kgを超えてたんじゃないかな。」猪木さんがカルガリーに来た時もビックリしてたよ。

 

 あの頃から彼はレスリングがうまかったね。パンチひとつ、キックひとつをとっても、うまさではトップクラスだったね。ただ、あまりにうまいんで便利屋みたいに扱われて、かわいそうだったよ。器用貧乏とでもいうのかな。

 

 やっぱり彼はインディアン・レスラーの方がいいね。グレート・ムタみたいにたまに変身してみたらどうかな?

 

 彼は物静かなヤツだと言ったけど、悪口は1度も聞いたことがない。また、彼が悪口を言うのも聞いたことがないね。

 

 それに彼が怒ったところを見た覚えもほとんどない。「ほとんど」って言ったのは、俺が1度、怒られてるからなんだ(苦笑い)。

 

 とにかく彼は、真面目っていう印象が強いね。コツコツと見えないところで練習してたし。日本人にはない、ゴッツイいい体をしてるじゃない。そういえば、凱旋帰国したとき、マシンじゃない別のマスクマンに変身するはずだったんでしょ? あの体を見たら、そのキャラクターにピッタリだったと思うよ。

 

 英語が喋れないのにカルガリーでトップを取ったんだから、彼は海外で成功した方じゃないのかな。新日本プロレスにとって、マシンは大きな財産だよ。あんなうまいレスラーは、そうそういないんだから。でも、彼の素質を生かしきれてないっていうかね。素顔の方が、彼の持ち味を生かせると思うけど。でも、生みの親としてはやっぱりサニー・ツー・リバースに戻ってほしいね。人気も上がるだろうからね。

 

 そうそう、日本に帰って来てからの話だけど、ジョージと神宮で大ゲンカしたことがあったらしいよ。あの怒らない男がケンカしたほどだから、よっぽどのことがあったんだろうね。まあ、物静かな男ほど、怒ったら怖いということだよ。
        ◇         ◇
 そんな彼が今日、リングを降りる……。 

【2018.06.19 Tuesday 08:48】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
震後

 6月18日(月) 目を覚まして、まだ布団の中にいるときだった。そろそろ起きようかと思ったころに、下から突き上げられる衝撃を感じた。瞬間、「あっ、地震だな」と思ったが、起き上がることすらできない。まるで、隣で斫り屋が作業してるのではないかと思われるほどの縦揺れに身を任せるばかり。その後、横揺れが襲ってきたが、その間隔が短いことから震源地は近くだなと、意外にも冷静に判断していた。

 

 1995年1月17日、同じように目が覚めて少ししてから、阪神淡路大震災に襲われた。それと同じような感覚だったが、時間にしては23年前よりも短いなと思った。免震構造だからなのだろうか、地震が納まっても、しばらく横揺れが続いているような感覚だった。

 
 ベッドから出て、まずはガスと水道の確認。とりあえず、ガス漏れがあると困るので、元栓を締めておく。あの時と異なり、明るくなってからだったので、意外にも冷静。むしろ、ちょうど通勤・通学時間なので、大きな被害が出てないかとの方を心配した。
情報収集のためラジオのスイッチと入れる。しかし、すぐには音声が流れず、もしかして放送不能に陥る被害を被ったのかと心配したが、ほどなく聞き慣れたパーソナリティーの声が耳に届いたのでホッとした。「遠くの親戚より、近くのラジオ」……23年前のキャッチフレーズを思い出した。

 

 一段落したところで、事務的な作業を始める。終わったところで交通情報をチェック。新幹線をはじめ、ほとんどの鉄道が運転見合わせ。明日には東京に移動しなければいけないのだが、大丈夫だろうか……。

 
 空路でという手段もあるが、ほとんどの便が満席。昼過ぎに東海道新幹線は運転を再開したものの、新大阪へのアクセスが寸断されている。

 
 デスクに座っていたも最新情報は得られないのと、早めに指定席を確保するのが得策だろうと大阪駅に向かう。

 

 “ダンジョン”と呼ばれるほどの地下街も人通りは少なく、シャッターが閉まっている店が大半。開けていても、「今日は商売にならんわ」と店員もあきらめ顔。明日の運転再開もどうなるかわからないので、できれば本日中に移動することも考えていたが、とにかく新大阪へにたどり着かないことにはどうにもならない。タクシー乗り場、バス乗り場は長蛇の列で、対応に終われていた駅員も、「タクシーは出払ってますし、1時間待っても漏れるかどうか確約できませんね……」とのこと。まあ、慌てることはないと考え、カフェでしばらく時間を潰そうかと思ったが、開いているカフェすら少ない。百貨店、書店だけでなく、駅コンビニ、駅そばまでもが臨時休業。

 
 区間運転している地下鉄の駅員に全線運転再開のメドを尋ねても、「わかりません。点検の結果次第です」との言葉が帰って来るだけ。そこに大きなキャリーケースを引きずった外国人女性が2人やってきた。スマホを示して、「ここに行くにはどうしたらいいか?」と尋ねている様子。覗き込むと、最寄り駅は別の鉄道会社。「この線じゃない」と返すと、「じゃあ、どの線なのか?」と聞いてきた。しかし、その線は現在、運転を見合わせている。その旨を伝えると、「タクシーで行けないか?」と言ってきたので、「行けないことはないけど、料金が高いぞ。それに今、タクシー待ちの列が長くて、すぐに乗れない」と返す。途方に暮れた感じだったので、「とにかくホテルに連絡してみたら?」と言うも、「日本語での対応ができないので、手伝ってほしい」とのこと。まあ、乗り掛かった舟だからと、まずはホテルの連絡先を調べる。ホームページ開いたところ、「地震の影響により、本日の営業は中止」との案内が目に飛び込んできた。

 

 それだけ伝えても、彼女たちはどうしていいかわからない。とりあえずホテルに電話を入れ、対応を聞いてみた。
「申し訳ないですけど、本日はキャンセルとさせていただきます。キャンセル料はいりません」

 

 ただ、彼女たちは2泊の予定だったので、まずは「明日の分の予約もキャンセルになるのか?」と尋ねる。「明日は営業できると思いますけど、今、館内の設備をチャックしているところなので、まだはっきりした返事はできかねます。明日の予約は残しておきますので、利用できるかどうか、また、明日ご連絡させていただきます」との返事。ただ、彼女たちが日本の携帯電話を持っていないので、メールアドレスを伝える。香港からのお客様なので、「簡単でいいですから、英語でお願いします」と付け加えておく。
ホテル側から別の宿泊先を紹介することはないとのことで、「今夜のホテルは自分たちで探してほしい」という伝言を伝える。

 

 地震に襲われた地に到着。言葉がわからない上に、混乱する街に放り出された。とにかく早くホテルに入って……と思っていたところ、公共交通機関はほとんど機能を失っているのだから、不安しかなかったことだろう。「私たちはどうすればいいの?」とうろたえるしかなった。最初は悲壮感漂った表情だったが、どうすればいいかわかったところで、ようやく笑顔もこぼれた。こんな状況ではあったが、最後は「Take care & Enjoy!」と声をかけて別れた。

 

 さて、こちらはとにかく状況が変わるのを待つしかない。まあ、なるようになるさ……。

【2018.06.18 Monday 20:06】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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