1月4日(月) 新日プロ東京ドーム大会。
早めに会場入り。顔を合わせる関係者と新年の挨拶を交わす。
そうこうしていると、外国人選手がフィールドに。笑顔で家族を紹介してくれる。ヤングバックスの父がキンキラキンのジャケットを着てフィールドをうろうろ。その後ろ姿が売れないロックシンガーのよう。
個人的に会いたかったのは“パパ・トンガ”ことキング・ハク。試合出場の準備もあって顔を合わせたの会場後。相変わらずデカイ!
試合開始前までに報道陣の控室に足を運び、新年の挨拶。そこで何度も尋ねられたのが、「ネットで『週刊ファイト』ってやってるけど、どういういきさつで(その名前を)使えるようになったの?」。
こちらには全く事情が入ってきてないので、「わからないですねぇ…」と答えるしかない。「権利を譲ってもらったんでしょうかねぇ…」。
もともと『週刊ファイト』の名前は1967年創刊の際、当時の新大阪新聞社社長が田鶴浜弘氏から買い取ったもの。まあ、中身を見たことないので何とも言えないが…。
今回の仕事はバックステージコメント。ニュージャパン・ランボー以外、ほとんど三塁側ブルペンに張りついていたので、試合は観戦できず。まあ、仕事とはそんなもんですが…。
ニュージャパン・ランボーでは三塁側ダッグアウト前に陣取り、入場シーンを撮影。最終入場者の邪道&有安杏果が花道に登場下の合図に持ち場に戻る。
ブルペンに入るとキング・ハクがインタビューに答えていた。そこに“乱入”する形で、「引退した天龍関にメッセージを…」と言葉をかける。
インタビューが終わってから、「今回の来日で天龍関と会わないんですか?」と声をかけると、「電話で話した。10分ぐらいね」と笑顔を見せた。
全試合終了後、記者仲間と新年会を兼ねての飲み会。終わった頃には始発電車が走っていた。