5月5日(祝) 新日プロ高松大会。
前日に高松入りしているので、会場入りまでのんびり。周辺を探索するももいいが、せっかくだからちょっとした小旅行気分でも味わおうと出掛けることに。何も目的なくぶらぶらするももいいが、香川にいるのだからとPCで検索したところ、所要時間は1時間ほどということで、そこを目的地に。
現地に到着して駅前の周辺地図で確認すると、目的地はまだ存在するようで…。
さすがに四国有数の観光地とあって、人が多い。
十分時間があったので、金刀毘羅宮にまで足を延ばすことに。
参道から石段を登り始めた。奥社までだと1368段。そこまで行くと今晩の撮影に支障をきたしそうだったので、約半分(785段)の本宮で折り返し。ここまで所用約35分。1段の下りを除いて登り一辺倒とあって、ふくらはぎが張っている。それでも呼吸を整えてすぐに下山。
その後、目的地へ向かう。
その場はJR琴平駅そばの駐車場。ゴールデンウイークとあって、全国各地からの車が並んでいた。
1992年7月26日、ここでオリエンタル・プロレスが旗揚げされた。
「こんぴら夏祭り」のイベントの一環として開催された大会で、メインは剛竜馬が独自ルートでブッキングしたジェシー・バー、ハリス兄弟(ロン&ドン)を含めた6人タッグマッチ。ロープワークを失敗した剛が、トップロープとセカンドロープの間から真っ逆さまにリング下に転落したのが強く印象に残っている。もちろん試合は剛組(剛&J・バー&?)の敗戦。3カウントを奪われた剛が、若手に両肩を支えられて引き揚げていく最中、要領がわからない若手に「しっかり持て!」と怒っているのも忘れられないシーンだった。
「呼ばれればどこへでも行く」として“出前プロレス”を打ち出したが、それまでもあった“売り興行”を公にしたもので、業界内的には目新しいものではない。ただ、基本的にそれまでは決まった興行主としかビジネスしなかったプロレス界だったが、“出前プロレス“で素人でもプロレスの興行が打てるようになった。いいように言えば間口を広げたことになるが、逆にいえば業界のルールを知らない者を引き込んだことによって、トラブルの火種を作る要因にもなったわけで、その功罪は大きい。
今でこそローカル団体花盛りで、地方での旗揚げ戦も珍しくなくなったが、当時は斬新だった。しかも売り興行というのは、おそらくFMWに次ぐ2団体目ではないか。
少し遅めの昼食でもと思ったが、金刀毘羅宮、琴平駅周辺のうどん屋はどこも満員とあって、そのまま引き返して高松大会の会場へ向かうことに。
会場では真壁刀義選手にある件の確認。
今回の西日本巡業も、残すは1大会のみとなった。