4月11日(土) 朝から某ラジオ番組を聴いていたところ、終了間際にトークショーのお知らせ。その最後に流れてきたのが「元阪急ブレーブス応援団長がゲストでお越しになります」。
そろそろ昼飯でも…と思っていたところだったが、それを聞いてはじっとしていられない。取材道具を手に家を飛び出す。
西宮球場跡地にあるギャラリーには開始15分前に到着。会場には阪急ブレーブスを支えた山田久志、福本豊、加藤秀司3選手が表彰された記録の記念品、リーグ優勝ならびに日本一のペナントなどとともに、西宮球場周辺のジオラマが展示されている。
イベント開始と同時になぜかカルミン(明治製菓)が配られた。「勇者たちへの伝言」の著者である増山実氏のトークが始まり、著書にも登場された今坂喜好応援団長が呼び込まれた。髪は名将・西本幸雄氏ばりに真っ白になり、あの頃の口髭も白いものが混じっていたが、赤い陣羽織を羽織ると集まったファンから期せずして拍手が起こった。
その後、球場で応援していた当時の話へ。しかし言葉の端々には、「阪急」「ブレーブス」がなくなった寂しさが漂っていた。
集まったファンも、どこか野球難民になった感じ。それだけに、こうやって集まってあの頃の話ができるのが喜びも感じられた。しかし「ホークスは福岡に行ったけど、まだ『ホークス』の名前が残ってるし、南海ファンが集まる店がある。でも、阪急にはそういう場所がない。ブルーウエーブならまだよかったけど、バファローズになってしまったからなぁ…」との声も。
阪急が身売りを発表した日、社長に呼ばれて本社に出向いた団長。
「その時は(阪急電鉄)正雀の操車場に勤めてたんやけど、(午後)1時に電話があって、3時に社長室に来てくれと。てっきり表彰されるもんやと思てた。周り(の仕事仲間)に、終わったら飲みに行こうって言うてたから。まぁ、金一封ぐらいはもらえるやろって。そしたら身売りするって。その時点では、社員の誰も知らんかった。もう頭の中は真っ白。5時から新阪急ホテルで記者会見がするからって。それを(隅で)聞いてて、終わったらその足で(JR)大阪駅に行ってた。そこで西へ行くか東へ行くか。で、金沢に行ったから。誰にも言わんと。嫁はんも探さんかった。ショックでどっか行ったんやろって。2、3日、帰らんかった。で、4日目に帰ってきたんかな。それは(シーズン)最後の試合があったから。山田の引退試合って発表されてたからな。それだけは見に行かんと。で、阪神大震災があった年に会社(阪急電鉄)を辞めた。それから野球も見んようになって、球場にも行かんようになった。嫁と子供とも別れて1人になって。体に悪くならん程度に飲むぐらい。飲みに行っても、チラチラこっちを見る人がいるけど、もう、のんびり暮らしてます」
そんな団長の夢は、「もう1回、新阪急ホテルかどっかにあの頃のファンが集まって、当時の話をして楽しい時間を過ごしたい」。「ビールかけしましょ」を声をかけると、「そんなんしたら、年寄り死ぬわ」と微笑んだ。
イベント終了後、「団長が長く阪急を応援してきて、一番の思い出は何ですか?」と直接尋ねると、5秒ほどの沈黙の後、「やっぱり(1976年)巨人に勝って日本一になって、阪急の旗を振りながら銀座を練り歩いたことかな。(空き)瓶とかいっぱい飛んできて…」
その後、会場に飾られていた西宮球場のジオラマに目をやり団長。1塁ベンチ上を見て、団長が登っていたステージがないことに気づく。「30席ぐらい潰してステージを作ってくれてた。そこに子供たちを上げて、(阪急の)旗を振らせてた。3塁側からも目立つから、(場内放送せずにステージに)迷子を上げたら、すぐに親が来たな」と当時を振り返っていた。
ちなみに、「勝っても負けても、見に行って楽しかったなって思ってくれるようにって応援してた。ヤジ? 門田の(『門田、一緒に豚まん食お〜』)はよう言われるけど。でも、野球そのものが好きなファンも来てるわけやからね。ただ騒ぐだけやなくて、ここっていうときはみんなで試合を見る、応援するときはする。それを心掛けてた」と、最近の応援スタイルに関してはチクリ。
球団が消滅して26年。選手はもちろん、阪急ブレーブスを知っているファンも高齢になってきているので、何らかの形で残しておきたいと思った。
とはいうものの、出版社は東京なので、阪急ファンの思いは担当者になかなか伝わらないだろうなぁ…。ビッグビジネスには至らなくとも、熱狂的なファンがまだいる今なら、ビジネスベースに持ち込めると思うのだが…。