8月26日(月) 前日の大田区大会をもって、全日プロの3本のベルトが諏訪魔の元で役割を終えた。
インターナショナル・ヘビー級、PWFヘビー級、ユナイテッド・ナショナルはそれぞれ全日プロの歴史に名を刻んだ、ジャンボ鶴田メモリアル、ジャイアント馬場メモリアル、天龍源一郎メモリアルといえようか(インターは“力道山メモリアル”ともいえるが、日本プロレスのゴッドファーザーが腰に巻いたものは別のデザイン。現在のデザインのものを最初に巻いたのは日プロ時代の馬場だった)。
3本のベルトが統一されたのは89年4月18日。ちょうど年号が平成に変わった直後。これで“平成全日プロ第1章”が幕を閉じたわけだ。
「3冠ヘビー級選手権」の名称は残すようだが、今後は遺産に頼らない信用と信頼を打ち立てていかなければならない。
ベルト新造に関しては、武藤社長時代にも話題になった。それ以前に、四天王時代にも計画されたが、その際は馬場の「今はもう、あれ以上のデザインのベルトは作れない」の理由で却下された。武藤社長時代に新造計画が出た際も表向きは「老朽化」が理由だったものの、実際は「馬場家に支払うベルトのリース料」が問題視されたといわれる。
武藤が社長に就任した歳、馬場元子前社長から全日プロをそっくりそのまま譲渡されたとされているが、実際は“負の財産”も押し付けられたという。
それはベルトとは別物だったが、それが武藤全日プロの経営を圧迫。ベルトとともに移動バスのリース料も馬場家から請求されており、経費削減を理由に他社からのリースに変更したこともある。
“3冠ベルト返納”のニュースを聞いた際に感じたのは、「やっぱりか…」。“リース料を払うより、新造した方が安上がり”というのが真相ではないか。
インター、UNは日プロ時代から使用されてきた。その意味で、UNは猪木メモリアルともいえる。
それはイコール、日本マット界の歴史が刻まれたベルト。と同時に、そのベルトを見るファン一人ひとりそれぞれのプロレスファン人生と共に歩んだ燦然と輝く骨董品である。