元Fight野郎

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【2019.08.02 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
新天地

 10月30日(火) 明日に迫った野球選手の取材に向けて予習に励む。野球はデータのスポーツ。というわけでほぼ半日かけてインターネットでデータを収集。問題はその数字をどう読むか。というわけで、夜は予習の復習を。
 
 初対面であっても共通の話題があれば、会話が弾むのだが…。取材対象者の出身地や趣味なども調べておかないと。手探り状態で時計や車の話でもしてみるか。でも、いくらそれで話が弾んだとしても、200行も原稿書くわけにはいかないからなぁ…。
 
 それはともかく、これで仕事の幅が広がればありがたい。

【2012.10.31 Wednesday 00:36】 author : 元Fight野郎 | - | comments(3) | trackbacks(0) |
秋宴

 10月29日(月) 秋の飲み会が11月6日に決定したことで、相変わらず参加人数未定のまま会場を予約。「20人までなら対応できます」とのこと。
 
 この時期に開催するのは初めてなのに加え、このまま年末までもう集まることはないだろうと考え、「忘年会」ということに。
 
 時間もあまりないので、とりあえず主だった過去の参加者に連絡する。
 
 ちなみに今回の参加資格は「カタカナ職業」。少々強引でも構いません。

【2012.10.30 Tuesday 00:05】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
龍宴

 10月28日(日) 夕刻からスイスホテル南海難波で開かれた藤波辰爾デビュー40周年パーティーへ出向く。
 
 伝説のバッドナースから同時刻に某所で行われたFMW女子の同窓会イベントにもお誘いを受けていたが、直前の付き合いの関係もあって、残念ながらそちらは見送り。
 
 会場となった「浪華の間」には、ファンも含めて250人以上の招待客が。会場で受付を済ませて開宴を待っていると、サイモン猪木氏の姿を見かけた。後で話を聞いたところによると、アントニオ猪木がニューヨークに帰っているので代理で出席したとのこと。
 
 どういう関係か知らないが、オープニングでは“男前”こと阪神タイガースの藤井彰人捕手も祝辞を述べていた。
 
 立食でないバフェ形式。伽織夫人や怜於南氏から「どうぞ召し上がってください」と勧められたが、あくまで取材で顔を出しているので遠慮。食事タイムではスクリーンで流されていた藤波が40年を超えるプロレス人生の中で一番の思い出という猪木との60分フルタイムの試合を鑑賞。1988年8月8日に行われたわけだからもう24年が経過した一戦ながら、今の試合の中に放り込んでも十分、ベストバウト候補に入る闘い。何より両者が自然に闘っている。
 
 後半は仕切りとして置かれていた金屏風が取り除かれ、リングがお目見え。そして大阪プロレスから3試合が提供され、藤波が場内解説を務めた。
 
 リングサイドに設けられた解説席の3列後方からはサイモン氏がリング上を眺めていたのは何ともいえず。
 
 パーティー終了後、司会進行を務めた山口雅史氏、スカイA関係者、藤波ファミリーの控室にお邪魔して食事しながら歓談。
 
 藤波には先ごろピストル自殺したマイク・グラハムについて聞いてみた。
 
 NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取した藤波はシリーズ終了後、すぐにフロリダに飛んで防衛戦を敢行。スティーブ・カーン2度目のリターンマッチを退けた次の挑戦者がM・グラハム。その試合で当時、タンパ在住だったタイガー服部氏がマネジャーとして付いていた。
 
 日章旗を手に藤波を先導した服部氏。藤波は、「自分は(現地でも)ヒールじゃなかったのに、服部さんがついたものだからすごいブーイングを浴びて…」と苦笑い。
 
 怜於南氏には「イギリスはどうだった?」と話を振ってみる。
 
 帰ってきた言葉は「また行きたい」。
 
 現地での評価も上々とのこと。「レスリングに触れること自体が初めてでした。でも、逆に何も知らなかったのがよかったみたいで。真っ白な状態だから、変な癖がついていないわけで、学んだことを次々吸収できました」とのこと。
 
 一部では来年5月にデビューと報じられているが、「焦らないで。まずケガしない体と体力づくりを。中途半端な状態でデビューしてケガしちゃったら意味ないから。受け身にしても、体にしっかり染みつくまで。スタミナが切れた時に、きちっとした受け身が取れるかどうかが大事だから。リングに上がったら、自分の体は自分で守らないといけないからね。そのためにも、首はしっかり鍛えて。まだ大学1年でしょ? 卒業時にデビューすればいいというぐらいのつもりで。そこまで強い気持ちでプロレスラーを目指したわけだから、プレッシャーがあるかもしれないけど、成功しないといけないから」と伝えた。本人もそれは理解しているもよう。
 
 藤波ファミリーと接していると、なぜプロレスラーらしくない彼が、なぜここまで応援される存在になったかがわかる。
 
 来年は凱旋帰国35周年。それを藤波に伝えると、「じゃあ、ジュニア時代に闘った(外国人)選手を呼ぼうか?」と乗り気。
 
 藤波の口からはチャボ・ゲレロはもちろん、トニー・ロコ、ピート・ロバーツ、カネックなどの名前が。こちらから、ロディ・パイパー、スティーブ・カーンの名前を加えておいた。
 
 それはともかく、藤波ほど多くの外国人レスラーと闘った選手もいないのではないだろうか…。

【2012.10.29 Monday 01:04】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
訃報
 10月21日(日) マイク・グラハムがピストル自殺を図ったとの報が飛び込んできた。
 
 「レッスル・リユニオン」で何度かお会いした。特に1回目(2005年1月、フロリダ州タンパ)では会場を訪れたタイガー服部を通じて紹介され、「あなたと藤波とのジュニアヘビー級タイトルマッチを覚えてます」と伝えると、笑顔で「サンキュー」と握手を求めてきたのが印象的。
 
 「フジナミとのセントピータースバーグとカワサキのタイトルマッチは、私のキャリアの中でも思い出に残ってる試合だ」と語ってくれたものだ。
 
 RIP。
 

 
 
【2012.10.21 Sunday 12:43】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
飛龍特番
 10月19日(金) 女子プロ野球の初観戦を終えて、スタジアムを出たところ、携帯電話に着信履歴が。コールバックする。
 
 先だっての藤波辰爾デビュー40周年特番制作に協力した件に関して感謝を述べられ、来週に打ち上げを行うので、ぜひ参加していただきたいとのこと。現時点で予定が入っていないので、快く出席に返事を。
 
 その“藤波特番”、10月21日(日)22時半から2時間枠でスカイ・Aスポーツ+でオンエアされる。
 
 8・26IMPの試合のほか、インタビュー、寝屋川市民体育館訪問の模様もオンエア。藤波が出場したメインでは、グラン浜田がゲスト解説を務める。
 
 再放送は10月24日(水)21時から。あれ、打ち上げの日だ。
 
【2012.10.20 Saturday 14:42】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
女子野球

 10月19日(金) 午後から一段落したので日本女子プロ野球のHPを閲覧。以前から1度、観戦に出かけたいと思っていたので日程をチェックしたところ、ちょうどこの日、試合が組まれていた。
 
 グッドタイミングと思ったが、開催球場が「わかさスタジアム京都」。
 
 「なんで日本海側で?」「そんなところで定期開催して客は来るんだろうか?」と思いながら、日帰りは無理そうなので観戦を諦めていたのだが、どうも以前の西京極球場がネーミングライツの関係で名称変更されたものだとか。わかさって、若狭じゃないのね? これなら自宅から1時間圏内。もう少し早くHPを開いていたら、その前に嵐山に寄ることもできたのに…。
 
 というわけで、西京極まで出掛ける。
 
 入場料は当日¥1,500-。京都市民は割引(¥1,000-)、70歳以上及び未就学児童は無料。何とかファンを獲得しようと頑張っている。
 
 試合開始時間ごろになると300人ほどの観客が。熱心な野球ファンと、子供連れ。両チームの応援団も。球場内に設けられた情報コーナーは手作り感満載。さすがに時にはプロ野球の公式戦が行われていた球場だけあって、スタンドは閑散としており、どことなくインディームードが漂うスタジアム。
 
 両チームの練習が終わり、グラウンド整備が始まると、さまざまなイベントで盛り上げようとする努力がうかがえた。マスコットはグラウンドだけでなく、スタンドにも登場。子供に人気。
 
 そういえばハロウィーンイベントも開催中。子供たちにお菓子を配っていたが、手品は披露してなかった模様。
 
 選手はファーストネームでコール。これも親近感を持っていただこうとの狙いか。
 
 何となく草野球のナイトゲームという雰囲気の中、試合が進む。それでもホームでのクロスプレーなど、見どころもあってヘタなタイガースの試合より面白いゲームだった。

  試合後はシンデレラインタビューや、シンデレラに選出された選手のサインボールの投げ入れなども。その一方で、選手自らがゴミ袋を持ってスタンド席の清掃をするなど、野球界のLCCといった感じ。
 
 スタジアムを出ると、先ほどまでグラウンドでプレーしていた選手が握手に応じる。馴染みの観客と親しく話す姿は、本当にインディー団体そのもの。
 
 感じたのは、もう少し女性らしい華があってもいいかな? たとえばユニフォームをソフトボールのように太ももをあらわにするものにするとか。
 
 7月のはカナダ・エドモントンで開催されたワールドカップで優勝するなど活躍しているものの、メディアであまり取り上げられないのは残念。独自に公式HPやYou Tubeで試合の模様をオンエアしているものの、外部に取り上げられない限り、広まらないのも事実。そのあたりの戦略が今後の課題か。
 
 とはいえまだ結成されて3年目。厳しい環境ながら頑張ってほしいところ。
 
 ちなみに、大阪ブレイビー・ハニーズの監督は、往年の虎の中継ぎエース、福間納でした。

【2012.10.19 Friday 23:14】 author : 元Fight野郎 | - | comments(2) | trackbacks(0) |
裏世界

 10月11日(木) ゼロワン大阪・世界館大会へ。
 
 頑張ってイスを並べても200人程度の小会場。会場入りするや、ラップトップの電源を確保できる位置に記者席を確保する。準備ができたころに顔を合わせたのが大将(大仁田厚)。なぜかわれわれの年代の記者はそう呼ぶ。
 
 FMW全盛時代、全国の会場に取材に出かけたもの。だからもう20年以上の付き合い。こちらが挨拶する前に、向こうから「よお、元気?」と声を掛けてくるところは、当時と全く変わらない。
 
 アントニオ猪木、ジャイアント馬場といった大御所は近付き難い雰囲気をまき散らしていた。長州力にしても同様。特に会場ではピリピリした雰囲気を醸し出していた。
 
 前田日明に関しては、個人的にはそんな感じはなかったものの、最初に顔を合わせるときは、機嫌を探りながらの接触だった。いかにリラックスさせるかが勝負。それさえ成功すれば気さくな兄ちゃん。同じ関西弁を操るということもあったのだろうが…。
 
 そういった緊張感は嫌いではない。なあなあにならない基準とでもいおうか。
 
 それがインディー団体ではそうでなくなる。若手への教育はしっかりしていたが、トップクラスはなんとか大きくメディアに取り上げてもらいたいという思いもあったからだろうが、向こうから近付いてくる感じだった。記者がそれを勘違いして、なれなれしくなることも多々あった。選手と記者(カメラマン)がお付き合いしてるなんていうことも。一線を超えたなんていうウワサも。個人的にあんまり興味なかったので、どうでもいいやと思っていたが、どこかの会場で大仁田が某記者に対して「オレさ、オマエのこと嫌いじゃないけどさ…」と伝えているシーンを見かけたこともある。
 
 それはともかく、しばし大仁田と雑談。トップクラスのレスラーって、そういうところにもネタが散らばっているのよね。記事にできるできないの別はあっても。
 
 全試合終了後に高岩竜一と雑談。
 
 「最近、海外にも行ってますね。別キャラだったりしますけど」などと話す。なんでも「パキスタン、行きたいですね」だって。その理由は…「だって、こういう機会じゃないと行けないでしょ?」。
 
 確かに。現地の状況を考えると、個人で行こうと思うことはまずないだろうから。パキスタンだけに、あの方がサポートするんじゃないかと思ってるのだが…。
 
 その後、高岩からこんな話が。
 
 「6月は韓国の話もあったんですけどね。でも流れちゃって。2カ月っていうからスケジュールも明けてたんですけど。それにほかにも選手がいるっていうんで、何人か声を掛けて。アルバイトしてる選手は、休みを取らないといけないでしょ? ボクもほかの団体からの話を断ったのに。結局、キャンセル。キャンセル料もくれないし。Yさんに言ったら、『あの人からの話? だったら先に(ギャラを)半分もらっとかないと』って。声を掛けた選手に申し訳ないし」とのこと。
 
 まさかこの時期になって、こんな話を聞くとは…。

【2012.10.12 Friday 00:52】 author : 元Fight野郎 | - | comments(10) | trackbacks(0) |
幕引

 10月9日(火) 知人から、この日の「甲子園球場のチケットが手に入ったから見に行かないか?」との連絡が入る。もちろん、断る理由なんてない。
 
 というわけで、金本知憲外野手の引退試合を観戦することに。残念ながら第1打席は球場前で雰囲気だけしか感じられなかったが、その後の3打席はしっかり観戦。シートは3塁側だったので、レフトフライを捕球するシーンはしっかり近くで見ることができた。
 
 圧巻は第3打席。中前打で出塁した金本は、次打者・新井貴浩の初球に盗塁。これが成功したことで、セ・リーグ最年長盗塁記録を塗り替えることに。さらに新井貴浩の中前打で本塁に突入して憤死した。しかし、その全力疾走は、金本が常に心掛けていたこと。いわば彼の野球に対する基本姿勢。それを最後のゲームで存分に見せつけたことは、後輩たちに対するメッセージでもある。
 
 試合後には引退セレモニーが行われ、10分間の映像の後にマウンドでスピーチ。最終戦での対戦相手となったDeNAにもメッセージを送ったシーンに、彼らしさが感じられた。
 
 独特のムードに包まれたスタジアム。その場に居合わせられたことに感謝する。

【2012.10.10 Wednesday 04:49】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
引退挨拶

 金本知憲(阪神タイガース)引退メッセージ

 まず最初に、僕を産んでくれた両親、アマチュア時代から広島時代、阪神時代、僕の野球人生にかかわったすべての人々に心より感謝申し上げます。
 思い返せば、10歳の時に野球を始め、常にプロ野球選手を夢見て、ボールを追いかけてきました。その夢が叶ったのは、21年前の地元、生まれ育った広島カープへの入団でした。
 プロ野球の世界は自分が思ったよりも、とにかく厳しい世界でした。必死にバットを振って、必死に重たいバーベルを担いで、一生懸命、ホントに一生懸命、無我夢中でやってきましたが、なかなか結果が出ず、苦しい思いをした最初の3年間でした。
 今もその3年間の苦しみのというものは、僕の野球人生、僕の人生そのものにおいても大きな財産となっております。
 2003年にタイガースに移籍してきまして、いきなり2003年、優勝を味あわせていただきました。立て続けに2005年も、4番(打者)としてリーグMVPを獲得し、また優勝させていただきました。
 2003年からは常にこの甲子園球場、毎年300万人の観客を動員し、あのジャイアンツにも10年間で2回しか負け越していません。
 この甲子園球場というのは、自分が持っている力以上のものを引き出してくれました。しかしそうも、人生はうまくいきません。
 3年前に肩をケガしてからは、自分の思うようなプレー、パフォーマンスを出すことができなくなりました。それから常に引退の2文字が頭をよぎるようになりました。自分でも「もう辞めたい」「もう嫌だ」と悔しい思いをしながらも、ファンの皆様の「あの金本のホームランをもう1度見たい」「あの弾丸ライナーのホームランをもう1度見たい」「3割、30本を打つ金本が見たい」という声に励まされ、必死にリハビリに励んできました。しかし、なかなか元のパフォーマンスに戻ることができず、今日ここで、ユニフォームを脱ぐ決意をしました。
 悔いや心残りはたくさんあります。チームとして2回優勝を経験しましたが、最後にもう1度、優勝したかったです。そして、阪神ファンが一番喜ぶ瞬間である、日本一という瞬間をこの甲子園球場でどうしても達成したかったです。残念ながらその悔いと心残りは、今日ここにいる後輩たちに託すことにします。
 DeNAベイスターズの皆さん、今日は自分の引退セレモニーにご参列いただき、本当にありがとうございます。
 DeNAベイスターズは今年、中畑新監督を迎え、チームの雰囲気もガラッと変わり、常に注目されるチームとなりました。しかし、一番目立っているのは監督でした。選手の皆さん、選手より監督が目立っているようではダメだと思います。監督より目立つことを、中畑監督も望んでいると思います。
 来年、ベイスターズが優勝争いをするようなことになると、一番日本で注目されるチームになると思います。日本球界のためにも、何とか来年、意地を見せて優勝争い、期待してます。
 最後でありますが、もう僕はこの甲子園の左バッターボックスでフルスイングすることはありません。ダイヤモンドを全力で走り抜くこともありません。レフトのポジションで、ボールを必死に追いかけることもありません。
 正直言って寂しいです。
 やり残したことはたくさんあります。僕のやり残したことまで、今ここにいる後輩たちが、僕の分まで必ずやってくれると信じてます。
 そして外野を守っていると、「アニキ、夢をありがとう」とか「ありがとう」とかいろいろ看板が…看板っていうかボードが目につきます。それは僕がファンの皆様に言いたいことです。
 タイガースに移籍して、本当に快く迎え入れてくれたファンの皆さん。たまにきついヤジもありましたが、こんな僕でも、大多数のファンは「頑張れ、頑張れ」と背中を押してくれました。
 阪神ファンはあったかかったです。優しかったです。
 最後に、ファンの皆様に一言、「本当に夢をありがとうございました」。
 心かからありがとうございます。そして、野球というスポーツ、野球の神様、ありがとうございました。

【2012.10.10 Wednesday 04:46】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
長寿
10月8日(祝) 午後から尼崎で開催されている某ラジオ番組の35周年記念展示会へ出向く。この日が最終日。
 
 到着したのは番組パーソナリティーのサイン会が終了したころ。もう混雑してないだろうと思っていたのだが、会館の外に50人ほどの行列が。閉館時間が迫っていたにもかかわらず、会場側が時間を延長していただいき、無事に館内へ。
 
 さすがに35年もの長きにわたって続いた番組とあって、年表を眺めているだけでも、歴史が感じられる。
 
 大のタイガースファンであるパーソナリティーとあって、貴重なスポーツグッズも展示されていた。江夏豊のグローブ、福本豊が通算100盗塁を達成した時のスパイク、聖火リレーのトーチなど。
 
 それにしても早朝の帯番組を35年間も…。半生を番組に捧げたようなもの。それだけ多くのリスナーに支えられている。というか、スタート当初から聞いていた自分もいるわけで…。
 
 会場に入ったころには、まだリスナーの方々と談笑されていた。
 
 1985年、阪神タイガースが21年ぶりのセ・リーグ優勝を飾った際には、貸し切り電車で甲子園球場に向かって公開生放送。当初は大阪(梅田)から甲子園までパレードする案も出たが、「各警察署の許可が必要」とのことで断念。申し込みにった際には、「いつですか?」「何人規模のデモですか?」と告げられたというエピソードも披露してくれた。
 
 私もその輪に加わり、いくつかの質問を。
 
 「35年間で一番印象に残っている出来事は?」の問いには、しばし考えた後、「いろいろあったからねぇ…」としばし考えた後、「やっぱり震災(阪神大震災)やね」。考えてみれば、当日も放送していたわけで…。その次が1985年の阪神タイガース日本一。
 
 タモリ(森田一義)が「笑っていいとも!」で生放送単独司会記録としてギネスブックに掲載されているというが、それでも1982年スタートだから30年。それを5年も上回っている。大阪の朝の顔はまだまだ健在。番組は大阪の文化に一端を担っている。

 

 

 

 

 

 

 
【2012.10.09 Tuesday 01:01】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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