マッチメーカーは本当に大変でした。大変だけど、自分が描いたものが実現すると、こんな快感はないですよ。最初、倍賞に言われたんです。「マッチメーカーは大変な仕事だけど、お前の手のひらにお客さんが乗るんだぞ」「それが転がった瞬間は、たまんないぞ」って。でも最初、その意味がわからなかった。
僕が(新日プロを)辞めたきっかけみたいになってますけど、長州さんが両国国技館に帰ってきた時(2004年10月9日)ね。もう館内総立ちで。あれを見た時、プロレスってこうなんだ…って。最後、辞める時にプロレスの神髄がわかった。
あの時の長州さんって、普段のテンションと絶対違ってたはず。俺の最後の勝負の時だって、出陣する時はもう、エネルギーの塊になって。リングに向かう直前は、心拍数も違ってたはず。
あの時はいろんなことがあった。ライガーが飛び込んで来て。わけわかんなかったですね、あの1日は。でも(マッチメーカーとしては)至福の時でした。その後、最悪の事態になりましたけど(笑い)。
マッチマーカーになって、最初に手がけたのが魔界倶楽部でした。
星野勘太郎さん、総裁には(引退後)ずっとプロモーターをやってもらってたんです。僕は営業だったんで、ホントにかわいがってもらいました。そんな星野さんは、全レスラーからリスペクトされてる。誰も星野さんには、はむかわない。それぐらいケンカが強い。
だから自分がマッチメーカーになるって考えた時、営業部長の時から思ってたんだけど、「何で、星野さんを使わんのやろ?」って。
僕、結構、アメリカンプロレス好きなんで、アメリカンプロレスのマネジャーみたいな存在にって。日本ではあんまりそういうのなくて、若松(市政)さんぐらいしか。でも、マネジャーっていうのは大事だと思う。だから最初、星野さんに「強くて悪いヒールの軍団を作りたいと思ってます。それにはどうしても星野さんが必要なんです。そこで、星野さんにマネジャーになってもらいたい。怒らないでくださいね。マネジャーなんですけど、やってくれませんか?」って。
その時点ではまだ「魔界倶楽部」っていう名前は決まってなかった。ただ、安田(忠夫)がいて、銭ゲバをイメージするマスクをかぶってっていうのは決めてたから、(魔界倶楽部結成が)決まったら、こういうマスクを作ってくれってデザインのイメージは伝えてました。
でも、星野さんが引き受けてくれてなかったら、魔界倶楽部は存在してないです。そこに星野さんがいてくれて初めて、強い軍団が出来上がるんです。
この前、6年ぶりに柴田くんに会って魔界倶楽部誕生の秘話を話したんですけど、その時にわかったことがあって。柴田くんが何で魔界倶楽部に入ったか。
幕張メッセ(2002年11月4日)で本隊vs魔界倶楽部の5vs5決戦があったんだけど、その日、柴田は試合が組まれてなかったんです。ケガで欠場してたのかな? そこで彼にマスクをかぶせてリングサイドに座らせて。「魔界倶楽部はほかにもたくさんメンバーがいる」「どんどん増殖していく」というイメージをつけるために。
その当時、柴田はキックボクシングのジムに練習に行ってたんですよ。それを試したくなったんでしょうね。乱闘の最中に、天山にいいの(蹴り)を入れちゃったんです。そしたら天山がすごく怒って。あんな天山、見たことない。
怒って柴田を投げたんだけど、4mぐらい吹っ飛んだんだから。控室戻ってもブチ切れたままで。
柴田はそのまま魔界倶楽部のバスに乗り込んだけど、やりすぎたって思ったのか、「まずいことしてしまいました」って感じでしょぼんとしてて。そこに星野さんが一言、「柴田、よかったよぉ」「あれでいいのよ」って。
その一言で柴田は勇気百倍。いつの間にか魔界4号になってた。それで長井(満也)くんと組んで、破悧魔王'sに。
本当は柴田くんは魔界倶楽部に入る予定じゃなかったんです。星野さんの「柴田、よかったよぉ」の一言があったから。
柴田くんと話さなかったら全然、思い出さなかった。
でも、天山が怒ったらすっごい怖いですよ。あんなにキレた天山、あとにも先にも見たことない。
あの時は天山のリアルな怒りがストーリーになって、偶然の産物で魔界4号が生まれた。それを見せられたんだから、面白いわけがない。
プロレスってどこでキレるかわからない。だから、何で日ごろ練習するかっていったら、キレた時の対応を身につけておくため。
星野総裁との思い出はいっぱいありますよ。あちこちでしゃべってるから、みんなどこかで聞いた話かもしれないけど。
勘太郎さんは入れ歯なんです。テレビカメラの前で「永田!」といった直後に入れ歯が外れて、何言ってるかわからなくなって。それを編集が「○×△※◆□▲◎◇▼!」って字幕を入れたんです。それがあってから勘太郎さんは試合前必ず、滑舌をよくするために練習するようになったんです。
みんなが「ビッシビシいくからな!」って言うのを期待してるもんだから、何も言わないわけにもいかないでしょ?
で、その日の対戦相手を確認すると、今日は誰々に言わないといけないって考えて、試合前に練習して。
飯田(長野県)に勤労者体育センターってあるんですけど、そこは控室とトイレが離れてて。
僕がトイレに入ったら、個室の扉がひとつ閉まってたんです。で、用を足していると、いきなり個室の中から「永田!」って。思わず「俺、上井ですけど」って言いそうになりました。で、「永田、ただじゃおかねぇからな!」とかいうのを聞いて、「あぁ、練習してるんかぁ…」って。
しばらく聞いてたら、扉が開いて星野さんが出てきた。僕の顔を見ると恥ずかしそうに、「上井、聞いてたのぉ〜」って言うんです。聞いてたんじゃなくて、聞こえてたんですけどね。
そしたら、「ちょうどよかった。お前、永田ね」って僕を永田に見立てて、「永田、どうのこうの」ってまた練習するんです。で「どう?」って聞いてくるので「最高です。いいですねぇ」って。
別のある日、一緒に新幹線で移動してて。グリーン車に乗ったんですけど、その車両にお客さんは僕と星野さんのほかに老夫婦が1組だけで。だったらJRも離して席を取ればいいのに2人ずつ前後の席で、僕たちが後ろ。並んで座っててもゆっくりできないだろうからと星野さんに気を使って、僕は少し離れた席に移ったんです。
しばらくしたら星野さんが始めたんです。席に座ったまま、「永田!」って。前の席を指差しながら。
前の席に座ってた老夫婦は、何事かってびっくりして。後ろの席から「お前、ただじゃおかねぇからな!」って聞こえてくるもんだから、小さくなって震えてるんですよ。
僕の方がびっくりして。慌てて星野さんのところに飛んでいって、「前に2人、座ってるんですから…」って。そしたら星野さん、バツの悪そうな顔をして「わからなかった…」。
そして僕は、前に座ってた老夫婦に、「すいません。いま、台詞の練習をしてもんで…」って何度も頭を下げて。
本人はいたって大真面目でそんなことするもんだから、おかしくて。
星野さん、強度の糖尿病で。まだ魔界倶楽部を作る前、僕がまだ営業の時ですけど、どっちか忘れましたけど、足が壊疽になって。橋本から「星野さんの足、あのまま放っておいたらまずいよ。星野さん、上井さんの言うことしか聞かないから、上井さんから言って、病院に行かせてよ」って。それで病院に連れて行ったら即入院。
「誰にも言うな」って言われたから、事務所の人間にも言わなかったんだけど、星野さん、「ひょっとしたら、足切断するかもしれない」って、肩を落としてた。で、「上井、毎日(見舞いに)来て」って言うもんだから、毎日通いました。
星野さんといえば、前田さんとケンカした話が有名ですけど、前田さんが何かしたあとの大会はみんな、僕が担当なんです。
豊岡(1986年1月14日)で控室まで追いかけていった次の日が確か、山口県の萩で僕の担当。武藤とやり合って旅館を壊した次の日(同年1月24日)が山口県小野田市でTV生中継だったけど僕の担当。武藤は顔が腫れ上がっちゃって試合できない状態で。
もう、星野さんは誰とでもやる。(豊岡の)現場は見てないけど、アキラ(前田)もやり返したから、星野さんはアキラのことがかわいかったんじゃない? ケンカした者同士、仲がよくなることってあるでしょ?
でもその星野さんにケンカを売った男が1人だけいました。試合でブチ切れて。それを見て、長州さんも俺も人間が信じられなくなったんだから。
何でそうなったかしらないし、長州さんが何でそういうマッチメークをしたかも知らない。でもそれを見て、こいつ、信じられないって。
試合中にブチ切れて、星野さんにガンガンいったらしい。控室に戻ってきても、試合の延長線上でガンガンやり合って。それを見て、長州さんが落ち込んじゃったぐらいだったんだから。
誰かって言ったらライガー。だから(体の)小さいレスラーほど、こっち(ハート)が強いんですよ。
長州さんが両国のリングに上がったときも、永田1人が対応すればよかったんですよ。あの当時、ライガーはブラック(CTU)だったにもかかわらず、リングサイドまで来たんだから。当時、ライガーは本当に長州さんが嫌いだったんです。ライガーが(リングサイドに)やって来て、本当に危なかったんだから。俺、「何でライガーが来るの?」って思ったもん。
たしか試合後のインタビューを受けてる最中、会場の雰囲気がおかしいからって(リングサイドに)戻ってきた。あの時、ひとつ間違ったらやりかねなかったんだから。
それほどの強いものを持ってるから、鈴木みのるとも、向こうのリングに乗り込んで闘ったんです。「自分でよかったら、やりますから」って。だから俺は、ライガーが新日本プロレスの中で一番「KING OF SPORTS」を背負ってると思います。
何かあったら、みんなすぐに臨戦態勢になるんです。何かあったときに対応できる。それがストロングスタイル。僕はそう思いますね。
それには何が一番必要かっていったら精神力。西村(修)にしてもおとなしいように見えるけど、ターゲットがしっかりしてるから、あれだけ長州さんに食らわされても、新弟子時代にあれだけいじめられても耐えてこれたんです。
新日本プロレスのリングに上がっている者っていうのは、みんなそういうところがある。
真壁(刀義)くんにしても、新弟子時代の(佐々木)健介のいびりはすごかった。ヒザをケガしてスクワットできる状態じゃないのにやらせて。できないからって食らわして。もう、辞めさそうとしてるとしか思えない。健介が悪いって言ってるんじゃないですよ。
そういうのを耐えてきて、真壁くんがキングコングでG1を獲って、IWGPも獲って、一世風靡したじゃないですか? その姿を見て、よかったなぁって思いましたよ。
頑張って耐えて。ロスの猪木道場では練習が終わったあと必ず猪木さんの(試合)ビデオを見て、「凄いな、凄いな」って言ってた。あんな研究熱心な選手いない。僕が(新日プロを)辞めてからスポットライトを浴びて、よかったなぁって。
僕は巡業についてましたから、選手のいろんなところを見てました。高山選手は競馬仲間だったからよく話したけど、瀬戸内海をフェリーで渡ってる時に、ものすごく落ち込んでて。「どうしたの?」って言ったら、「長州さんにプロレス辞めろって言われました」って。その時の落ち込み方は半端じゃなかった。
そういうのをみんな乗り越えてきてるんです。食らわされるだけじゃなく、言葉でもダメージを与えられる。特に真壁くんは凄かった。
逆にデビュー前から凄いなと思ったのは藤田(和之)。覚えてるのは、山田町(岩手県)の体育館の前の青空の下で受け身の練習をしてて。それを見た時、こいつはすごいレスラーになるぞって思った。
あと、北九州プリンスホテルのアイスアリーナで試合があったとき、牛乳瓶の底のような分厚いレンズのメガネをかけてランニングしてる人がいて。最初、レスラーだとわからなかった。ホント、サラリーマンみたいな感じで。そんな彼がトップになったんですから。誰かって言うと小島くん。
新日本プロレスって、入門してもなかなか溶け込めないんです。それがある日突然、仲間入りするんです。事務所もそう。新入社員も3カ月ぐらい、口きいてもらえない。
それが広島大会が終わったあとに選手会の集まりがあって。決まって鉄板焼き屋に行くんですけど、そこはケースにワインのミニボトルがたくさん冷やしてあるんですけど、小島選手がそれを開けて飲んでたんです。みんなホロ酔いになってきたところで橋本選手が「オイ、小島。お前、長州さんの物まねするらしいじゃないか。やってみろ」って言い出して。そしたら小島選手が物まねをやり出して。
そこから桂三枝(現文枝)と次々やり出したら受けて。ケースの中にあったワイン全部空けて。それで、「小島は面白いヤツだ」となって、完全に新日本プロレスの一員にとして認められた。
星野さんに関して、もうひとつだけ。
退院の日、迎えに行ったんです。そしたら僕の手を引っ張って病室を出て。星野さんが入院してた部屋は7階か10階か忘れましたけど高いところで。で、僕の手を引いてエレベーターホールの踊り場まで行ったら、「毎日ここ来て、下を見てた」って言うんです。「どうしてですか?」って尋ねたら、「足切るんなら、飛び降りようと思ってた」って。
「足切っても、まだ生きられるじゃないですか」って言ったら、「上井、お前、何言ってんの。ケンカできなくなったら、人生終わりよ」「ケンカが人生で一番面白い」って。
赤坂で星野さんを知らない人はいない。それほどケンカ好き。どこででもやりますから。
あと、こういうことがあった。信じられないと思いますけど。
草加(埼玉県)の健康都市スポーツ体育館でよく試合してましたけど、あそこは星野さんがプロモーターだった。そこでsXwの中継があって、山本小鉄さんがTV解説だったんです。
星野さんがお客さんに用があって、試合中に鉄柵の中に入ってきたんです。リングサイドを横切った方が近いからって。
その時に小鉄さんが若手に、(星野を鉄柵の)外に出せって命じたんです。若手は小鉄さんの命令だから断れなし、ましてやその若手は星野さんのことを知らなくて、連れて出たんです。その若手が誰かは覚えてないけど。
松戸(千葉県)の時も星野さんを連れ出した若手がいて。それは棚橋(弘至)。まだ新弟子時代で。あとから橋本選手が棚橋を食らわしましたけど。
で、若手に連れ出された星野さんが怒って。その標的が小鉄さん。
で、いくとこだったんですよ。入場ゲートの裏で「頭来た」ってつぶやいて。少し動かなかったんだけど、腕にはめてたロレックスの時計はずして、ネクタイを緩めて、上着を脱いで。試合中ですよ。小鉄さん、解説席に座ってるのに。「あ、ケンカする時はこうするんだろうなぁ…」って思ったけど、すぐに「星野さん、絶対にいかんといてください!」って止めました。
止めながら「相手は?」って聞いたら、「小鉄」って。
小鉄さんからすれば、悪気があって若手に命令したわけじゃない。でも、星野さんからすれば許せないこと。そうなったらもう、相手が誰だろうと関係ない。
ヤマハ・ブラザーズですよ。あり得ないでしょ?
小鉄さんと星野さんはリング上では息の合ったタッグパートナーでしたけど、一緒に食事に出かけるところを見たことない。事務所で顔を合わすと、小鉄さんは星野さんは年下でも先に入門した先輩だから「お兄さん」って呼んでたし、星野さんは「小鉄ちゃん」と呼んでて。話はするんだけど、2人からお互いの話題が出たのを聞いたこともない。
そんな関係を知ってたけど、まさか…。あの時の星野さんはものすごく怖かった。小鉄さんからもいろんな武勇伝を聞かされたけど、まさか小鉄さんにいくとは…。星野さんで1冊、本が書けるよ。
六本木だったか新宿だったか、ヤクザ8人相手にケンカして。5分ほどして心配して見に行ったら、8人が全員倒れてたっていう話を聞いたこともあるし。
星野さんにとっては、ケンカが人生のすべてなんです。きっとそうだったと思いますよ。