元Fight野郎

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【2019.08.02 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
極私的・星野勘太郎追悼

 

 11月29日(月) 星野勘太郎を追悼すべく豊岡市民体育館に向かった。ちょうど全日プロの興行があり、結果的にそれに合わせる形となったが、もともと近いうちに足を運ぶ予定にしていた。というのも、今年1月に「週刊プロレス」誌上で発表させていただいた「プロレス歴史街道 大阪編」の第2弾を編するため。しかし、どうもこのアイデア、新編集長には響かなかったようで。実は大晦日のプロレス・格闘技スーパーショーがことしでちょうど10年を迎える。だから、第1回の「猪木ボンバイエ」(2000年12月31日、大阪ドーム)の仕掛け人を取材するなどの検証をトップに構成しようと思っていたのだが、残念ながらタイミングが合わなくなってしまった。第2弾はよそでというわけにもいかないし、さすがに10年後というわけにもいかないので、このままお蔵入りになりそう。
 そんなことはどうでもいい。「神戸出身のはずなのに、なぜ豊岡へ?」と思われる方は多いだろう。「同じ兵庫県とはいえ、的外れも甚だしい」と思われるだろうが、豊岡市民体育館は星野勘太郎史において外すことのできない事件があった場所なのだ。
 UWF勢が新日Uターンを果たした直後というから86年の新春シリーズだったはず。同シリーズでは基本的にUWF勢(前田、藤原、木戸、高田、山崎)による猪木への対戦者を決定するリーグ戦が行われていた。5選手による2回戦総当たり制。ということは公式戦は全20試合。各大会1試合の割で行われていたが、第1次UWFは2リーグ制になってからシングルマッチしか組まれなかったこともあって、その流れから新日本でもタッグマッチは組まず。よって当初は、公式戦以外の試合は組まれなかった。
 しかし、実験的に新日勢とのタッグマッチ(6人タッグ)も組まれるようになったが、新日勢で対戦に選出されたのは中堅・若手が中心。前田に限らずUWF勢は“危険視”されていたこともあって、トップクラスを当てて壊されては大変と、中堅・若手で様子を見ていたのかもしれない。
 そんな中、兵庫県の田舎町で新日勢とUWF勢の6人タッグが組まれた。そのメンバーに前田と星野の名前があった。
 当時の星野は中堅レスラー。たまにテレビに登場しても“負け役”的なイメージ。よほどのマニアでない限り、その実力は理解できなかった。
 事件は試合中に起こった。星野が前田にケンカを仕掛けた形。「向かい合ったら、いきなり鼻にパンチが飛んできた」とかつて前田が語ってくれたことがあった。
 前田と星野といえば身長差20cmほど。リーチが長いわけでない星野とあって、鼻っ柱にパンチを当てるのはよほどタイミングがよくないと不可能。パンチを浴びた前田は新日時代、星野にかわいがられていたこともあって、殴られても「一瞬、何が起こったかわからなった」という。しかし、その後も星野がパンチを放ってきたとあってはやり返さないわけにはいかない。結果、とても観客に見せるような試合にならなかったという。裁定もノーコンテストか何かの不透明決着で、大スポの試合結果を見て、「なんだこれ?」って思ったような記憶がある。
 しかも不穏な空気はリング上だけに終わらず、「試合が終わっても星野さんがモップを持って控室に殴り込んできた」という。
 そんな場所だけに、「プロレス歴史街道」でぜひ訪ねてみたかったこともあって、この機会に足を運んだわけ。
 しかしそんなこと、観客はともかく、取材陣も覚えていない(というか、記憶にない)ようで。会場入りして、興奮していたのは私だけ。そんな姿を見て、総裁は「オイ、なにはしゃいでるんだ?」と笑ってることだろう。
 全試合終了後、会場に向かって合掌して、極私的な星野勘太郎追悼とさせていただいた。

【2010.11.30 Tuesday 00:34】 author : 元Fight野郎 | - | comments(4) | trackbacks(0) |
私的・星野勘太郎追悼
 11月29日(月) そうだ、豊岡へ行こう! 
【2010.11.29 Monday 21:54】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
冬到来で

 11月17日(水) めっきり冬の気配が強まってきた今日このごろ。この冬は、先だってカナダで購入した衣類が大活躍しそう。ただ防寒に優れていて、電車に乗り込んだときや室内では暑いのが難点。

【2010.11.17 Wednesday 22:40】 author : 元Fight野郎 | - | comments(37) | trackbacks(0) |
あ、忙し…

 11月16日(火) このところ仕事の依頼が舞い込むのとともに、来月の本業の準備もあってデスクワークに追われる。おまけに幹事長の仕事もしないといけないし。どこにも出掛けることができないが、ありがたいこと。
 今年も残り1カ月半。このまま谷しげる状態で年明けを迎えるのか…。

【2010.11.17 Wednesday 01:22】 author : 元Fight野郎 | - | comments(12) | trackbacks(0) |
劇的夢部隊府立第2

 11月14日(日) 大阪プロレスの取材を終えたその足で、府立第2へ。DDTの地方で初のビッグマッチに顔を出す。会場に到着するとIWGPジュニアタッグ選手権が始まった。DDTならではのハチャメチャな面を目にできなかったのは残念。それでもセミとメインは超満員の観客を大いに沸かせた。それでも言いたいことはあるが、ここは素直に成功をたたえておこう。

【2010.11.15 Monday 00:22】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
道頓堀の裏舞台

 11月13日(土) 大阪プロレスの取材のためMove Onアリーナへ。くいしんぼう仮面は週プロのコラムが好調のようで。あそこまでハチャメチャなプロレス人生を歩んできていると、読んでる方も面白いだろう。すでに自伝出版を考えているとか。どうやらタイトルも決まっているようだ。
 そしてNOAHのジュニアヘビー級タッグリーグ戦に参戦していた小峠篤司と原田大輔に好評価だったことを伝えると、「また出たいですね」。前回はわずか2試合だった地方大会への出場だったが、ワンシリーズ通して巡業を経験したい様子。
 メインのインディージュニア選手権試合はロープワークや派手な空中戦を排除した内容。こういった展開はヘタすると自己満足に終わってしまうことも多いが、しっかり観客の目をリング上に集中させていた。それは自信がなければできないこと。キャラクターばかり先行しているが、タイガースマスクもヲロチも実力派の好選手。こういった引き出しは折りに触れ開けるべき。それがファンを飽きさせないことにもつながる。

【2010.11.14 Sunday 01:04】 author : 元Fight野郎 | - | comments(1) | trackbacks(0) |

 11月12日(金) 龍さんが神戸に来ていると聞いて出掛ける。待ち合わせはNOAHがプロデュースする飲食店。店内の様子などは紙面で紹介させていただくとして、AAA関係者も合流して突っ込んだ話を。結果、今月2度目の午前様とあいなりました。

【2010.11.13 Saturday 09:20】 author : 元Fight野郎 | - | comments(3) | trackbacks(0) |
ラストチャンス

 11月11日(木) 残念な知らせが飛び込んできたが、その一方で○○○○も処分するので引き取らないかとの連絡が。個人的には20年間の記録のようなものだが、そこからさらに遡ってもいただけるとか。あの伝説となった特集もあるとのこと。お断りすると2度と手に入る機会がなくなるので、引き取ることにした。ちなみの、その現物の評価はPriceless。

【2010.11.12 Friday 16:15】 author : 元Fight野郎 | - | comments(4) | trackbacks(0) |
鬼が笑う

 11月10日(水) 某関係者から来年のある件に関して連絡が入る。協力してほしいということだったが快諾。あの謹慎騒動はどこへやら、本業が忙しくなってきた。

【2010.11.11 Thursday 00:42】 author : 元Fight野郎 | - | comments(2) | trackbacks(0) |
名脇役逝く

 11月8日(月) ジョー樋口レフェリーの訃報が飛び込んできた。柴田勝久、ミスター・ヒト、ラッシャー木村、山本小鉄、そしてジョー樋口。それに加えてキンジ渋谷。石川一雄カメラマンを含めて、日本プロレスを知り、日本のプロレスを築いた歴史的人物が今年になって相次いでこの世を去った1年になる。年末になると、「今年を漢字1字で表すと…」とのテーマが話題になるが、ことプロレス界に関しては「去」かもしれない。
 さて、ジョーさんとはこれといってゆっくり話した記憶はない。われわれマスコミ若輩者からすれば、ジョーさんは水戸黄門的な存在。恐れ多くて、こちらから話しかけるなんてできない。というか、何が共通の話題なのかを知らないので、気軽に雑談できなかったというのが正直なところ。
 龍さんとだったと記憶しているが、バックステージで話しているのを聞き耳を立てていたことがあったが、実に興味深い話だった。キチッとした形でじっくりと話を聞く機会を設けなかったのは返すがえすも残念。
 それでも、海外ではよくジョーさんの名前が出てきた。70〜80年代に活躍されたレジェンドにあいさつすると、「ジョー・ヒグチは元気か?」と必ず逆に尋ねられたもの。帰国後、ジョーさんにそれを報告したときには、うれしそうな笑顔を漏らしていた。
 レフェリーを引退してもしばらくは外国人係として全日本プロレスをサポートしていたジョーさんだったが、いつしか馬場夫妻に切られてプロレス界からフェードアウトしていた。そんなジョーさんをGHCタイトル管理委員長として表舞台に引き戻したのが三沢光晴。新興団体として発足したNOAHにとっては、日本プロレスから続くジョーさんのキャリアとその威光があったからこそ、旗揚げ当初からメジャー団体として扱われたのだろう。
 数年前、ROHニューヨーク大会でジョーさん。重い腰を上げさせて渡米させた龍さんも、懐かしい友と話すジョーさんの姿を見て「行かせてあげてよかった」と語っていた。あれはNOAHからの大きなプレゼントだった。
 昭和のレスラーは「名優」と表現されるが、ジョーさんはまさに昭和の名脇役。天龍源一郎離脱直後、新装なった東京体育館で行われたメインイベント。そのタッグマッチでリングに上がっていた5人が向こうの世界でそろったことになる。思い出話に花を咲かせているのか、それともジョーさんは全日本プロレスにとって大きなターニングポイントとなったあの日の再戦のゴングを要請しているのか…。
 合掌。

【2010.11.09 Tuesday 01:37】 author : 元Fight野郎 | Mr. Hito | comments(3) | trackbacks(0) |
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