8月30日(月) 前日は小鉄さんの訃報を耳にしてから、神戸での真壁のイベントを追跡取材したため、詳しいエントリーを挙げられず。一夜明けて、あらためて小鉄さんとのあれこれを思い返す。
小鉄さんの現役時代は辛うじて引退直前のシリーズを思い出す。ファンとして会場に足を運んでいたころは、すでにセミリタイア状態。引退記念シリーズとして大阪大会で星野勘太郎とのヤマハ・ブラザーズとして出場したのを観戦した記憶があるが、残念ながら試合の詳細は覚えていない。
小鉄さんといえばやっぱり「金曜夜8時」の名解説者というイメージが強い。たまにレフェリーとしてリングに上がった際には、大「小鉄」コールが送られ、照れ隠しからか選手が入場してくるまでスクワットをしていたのが強く脳裏に焼きついている。
ちなみに小鉄さんの名レフェリングといえば、猪木vs国際はぐれ軍団の1対3マッチ第1戦。猪木に逆十字を決められたラッシャー木村さんを救出すべく飛び込んできた寺西を、身を呈して止める姿。ちなみのこの一戦ではサブレフェリーとして柴田勝久さんと栗栖正伸がリング下に陣取っていた。
小鉄さんとは会場で顔を合わせるたびにあいさつにうかがったもの。その際、必ず「元気にしてる? 景気はどう?」と尋ねられたものだ。そして「(景気が)悪いって言ってたら、よくならないから。ウソでも景気がいいって言わないと」とよく口にしていたものだ。
小鉄さんに昔話をしいただくのは楽しかったし、「いまの選手は悲しいね。オレなんてもう現役を退いて何十年にもなるのに街で声をかけられるのはオレの方なんだから」と嘆きながらも、人気復興を願っていた。
小鉄さんをじっくり取材したのは、新日本創立25周年記念として創設者インタビューを行ったのと、日明兄さんの引退前にヤマハ・ブラザーズとの対談(鼎談)をお願いしたぐらい。特に日明兄さんとの対談をお願いした時には、「なに、前田と話できるの!」と喜んでいただいた。その場で小鉄さんの方から「いつするの?」。当日はホテルの一室を予約していたのが、予定時間を大幅にオーバーしたほど。
そのときの模様を収録した紙面を探してみよう。
小鉄さんには“ミスター・ヒトエイド”に協力していていただこうと考えていた。こちらからお願いしようと考えていた何人かのうちのひとり。残念ながらヒトさんが一足先に亡くなったので実現には至らなかったが…。
「生涯現役なんて言うけど、オレは生涯練習」と口にしていた小鉄さん。向こうの世界にいっても練習していることだろう。