元Fight野郎

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【2019.08.02 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
11周年と菊タローとヒトさんと

 4月29日(祝) 帰国翌日、大阪プロレス11周年記念大会へ。CHIKARAプロレスTシャツをか着用しようかと思ったが、ミスター・ヒト追悼の意を込めてヒトTシャツ姿で解説を。
 
 試合前、バックステージで菊タローとヒトさんを偲ぶ意味も込めて思い出話。
 
 その前座になったのはJS話。「なんでESTAのこと、教えたんですか!」と叱られてしまった。
 
 そういえばJS氏、カルガリーを訪れた際、練習での取材で「オレが相手になります」ってリングに上がったとか。「何だ、このヤロー。プロレスをなめくさって」と思ったヒトさんは、練習相手にミゼット選手を指名。それを見てJS氏も「こんなに小さいヤツだったら簡単に勝てる」と思ったんだろう。リングに上がってスパーリング。ところが、簡単に押さえ込まれたとか。
 
 「こんなヤツに負けるはずない。何かの間違い」と第2ラウンドを申し出たが、簡単に転がされてしまったんだって。第3ラウンド、第4ラウンド…と挑むが結果は同じ。実はJS氏の相手、ミゼットとはいえカナダのアマレス王者だったのだとか。「レスリングのド素人がチャンピオンに勝てるはずないだろ」とはヒトさんの弁。
 
 それはともかく、カルガリーには大勢の記者が取材に訪れたが、自ら進んで練習相手に名乗り出てリングに上がってきたのは、JS氏以外にはいなかったとか。
 
 菊タローが「安達さんの追悼興行、できないですかね?」と言うので、「やろうと思ったらできるけど、問題は収益をどうするか。2人の娘さんもそれが必要な環境じゃないし、最後までヒトさんの面倒もみられていた方も『いらない』って言ってるし…。そこをはっきりしておかないと、『死人で商売している』って言われるだけやから。ヒトさんを飯のタネにするわけにはいかないし」。

【2010.04.30 Friday 11:11】 author : 元Fight野郎 | Mr. Hito | comments(5) | trackbacks(0) |
Go East のはずが…

 4月27日(火) さて、帰国。
 大阪プロ勢はニューアークから、私はJFKからそれぞれ成田経由で大阪へ。前日はニューアーク空港周辺のモーテルに宿泊。ホテルにチェックインした後は、観光・土産物散策も兼ねてニューヨークへ。あいにくの雨模様だったが、プロレスラーらしくMSGを見て感激。「ここで試合したいなあ…」と漏らしていた。さらにタイムズスクエアのド真ん中に立つ。で、「大阪プロレス、愛してま〜〜〜す!」と“世界の中心で愛を叫ぶごっこ”。
 夜が明けて彼らにエアポートシャトルに利用法を伝えて、私はJFKへ向かう。マンハッタンを横切るコースはラッシュと重なるので回避。でI−278を通るコースを選択したのだが、ターンパイクの出口を通り過ぎて遠回り。仕方なくI−286からI−278に合流するルートに変更したのだが、ターンパイクからI−286に入る際、本来被害向きには走らなければならないところを西行きのコースに入ってしまった。
 「すぐに橋を渡ってニューヨーク州に入るはずなのに…」と異変を感じながらも車を走らす。曇り空で太陽が見えなかったため、西向きに走っている感覚を鈍らせていた。
 10マイルほど走ったところで、以前宿泊したことのあるホテルの最寄りの出口のサインが。そこでようやく反対向きに走っていると確信。すぐにハイウエーを下りてUターン。幸い、大きな渋滞もなく、搭乗時間に間に合った。
 成田空港で大阪プロ勢と再会。互いに無事を確認して大阪空港行きの便に搭乗。これにて北米3往復の旅、終了。

【2010.04.29 Thursday 01:20】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
ESTAって何?

 4月26日(月) ドライブ中、携帯電話が鳴る。誰かと思って出てみるとJS。てっきり先日のリマッチでも要求してくるのかと思いきや、「ESTAって、どうすればいいの?」。
 いや、仮にも航空会社付の空港職員でしょ?
 カスタマサービスでイミグレーションなどで利用客の通訳もしてるんでしょ?
 それなのに、ESTAがどういうものか知らないなんて…。グリーンカードを持っているから、自分には関係ないと思っていたのか。
 なんでも母親をアメリカに呼ぶことで泡食ったとか。
 一応教えてあげましたけど。どうせなら、ESTAの申請をしてなくてアメリカに入国しようとしたらどうなるかを身を持って示してほしかったなあ…と思う今日このごろでごさいます。

【2010.04.27 Tuesday 12:28】 author : 元Fight野郎 | JS | comments(8) | trackbacks(0) |
実現しなかったAID興行

 4月25日(日) 時差の関係で、すでにミスター・ヒトの葬儀は終わった。自宅で行うと聞いて(元お好み焼屋。10人も入れば満員になる程度の広さだっただけに)、騒動にならなければいいと思ったが、どうだったのだろうか…。まあ、最後に騒ぎを起こすのも、ヒトさんらしいかな。
 
 さて、ヒトさんが右足を切断したと聞いたのは2月上旬。「ミスター・ヒトAID」を開催できないものか考えた。基本的には、ヒトさんと関係あった選手に出場してもらう。ヒトさんに会場に来ていただかないと意味がないので、日取りは術後の経過を見てからでないと決められない。一方で、2人の愛娘が住むカルガリーに移住するという話も進めるとのことなので、時間的な余裕もない状況だった。
 人前に出るとなると、それなりの姿を見せたいとの思いがわいてくるはず。ヒトAIDを開催することによって、リハビリの励みになればと思っていた。
 しかしまだ公になっていないこともあって、大々的には動けない。それでも何人かの選手に伝えたところ、スケジュールの都合はあるものの「決まったら連絡してください。できるかぎり協力します」と全員が申し出てくれた。レスラーだけでなくレフェリーも。それは下手なブッカーから妬まれそうな顔ぶれだった。
 単に出場してくれるだけでなく、菊タローなどは、「東京から向かう選手を自分の車に乗せていきますから。それで少しでも交通費が浮いて、その分を安達さんに渡せたら」と言ってくれたほど。本当にありがたかった。
 協力を申し出てくれた選手だけでなく、ヒトさんと親交のある(あった)元メジャーやすでに引退されたレスラーには、こちらからお願いしてでも出ていただこうかと考えていた。といっても、ブレットを呼ぶのは無理だろうが…。
 さらに、当日のプログラムとして週刊ファイトを1号限定で復活させられないかも頭の中にあった。
 とはいうものの、AID興行を開催すればいいとは考えてはいなかった。実はヒトさんらしさを出すためにやりたかったことが一つあった。それは大会当日、オープン参加という形で練習を行ってその中から選手をチョイス、彼らにヒトさんの前で5分程度の試合をしてもらってアドバイスしてもらうというもの。それを陰でするのではなく公開したかった。
 今回の海外取材から帰国したら本格的に動かなければならないと思っていたところでの訃報だっただけに実に残念。だからといって、そのまま追悼興行にスライドさせる気はない。AIDだからこそ意味があったのだから。
 お声を掛けさせていただいたレスラー、関係者には申し訳ないことをした。

【2010.04.25 Sunday 17:17】 author : 元Fight野郎 | Mr. Hito | comments(4) | trackbacks(0) |
通夜

 4月24日(土) 現在、ミスター・ヒトの通夜が執り行われている。友人から「通夜に行ってきました」というメールが何通か入る。残念ながら通夜、葬儀には参列できないが、ヒトさんが長く住んだ北米大陸から冥福をお祈りします。

【2010.04.24 Saturday 23:43】 author : 元Fight野郎 | Mr. Hito | comments(5) | trackbacks(0) |
恩返し?

 4月21日(水) ミスター・ヒトの訃報が飛び込んできたのは昼食を取り終えた午後2時過ぎ。確認の電話を終え、何人かのレスラー、関係者に連絡したのち、ヒトさんがお休みになっている自宅に向かった。何本かの原稿を抱えていたのだが、手につくはずもない。とにかく動いていないことには放心状態になりそうな感覚だった。
 明日からアメリカへ。ここでお別れしておかないと、心に引っ掛かりを残したままになりそうで。
 寝ているような安らかな顔だった。そこで1枚のパネルを預かる。そしてその足で大阪府立へ。この日、興行を行う新日本で10カウントゴングをしていただけないかとお願い。さすがに写真なしでは格好がつかないので、以前、ヒトさんが営業していたお好み焼き店に飾られていたパネルを思い出して申し出たところ、快くOKしていただいた。
 実はその写真、週刊ファイト編集部からのプレゼント。約3年間にわたって連載をお願いしていたのだが、取材謝礼も原稿料も受け取らなかった。せめてそのお礼にと、全盛期の姿を撮影したものを贈呈。本当に「これぞレスラー」とほれぼれするような体つき。
 会場に到着して関係者にパネルを手渡す。その後、尾崎リングアナが、「ヒトさんをどのように紹介すればいいですか?」と取材に来た。“ああ、ヒトさんを知らない年代のスタッフばかりになってしまったんだな”と隔世の感。
 第1試合開始前、マシン選手がそのパネルを手にリング上へ。そして全選手がリングを囲んで追悼の10カウントゴング。
 10カウント目が打ち鳴らされた瞬間、ひとつの役割を果たせたとの安堵感が。
 メイン終了後、ライガー選手、服部レフェリー、中西選手とともにヒトさんが眠る自宅へ。ライガー選手はヒトさんの枕元に座りこみ、30分以上も何やら話しかけていた。
 その後、次々と弔問客がやってくる。「辛気臭いことが嫌いなヒトだから…」と、過去にヒトさんが話してくれた数々のエピソードを互いに語り合い、大いに笑った。
 自宅に帰り、ヒトさんから頂いた形見の品を取り出し、そっと胸に当てる。

【2010.04.23 Friday 15:45】 author : 元Fight野郎 | Mr. Hito | comments(9) | trackbacks(0) |
Hito

 4月21日(水) 今朝未明、ミスター・ヒトが入院先の病院で亡くなったとの報が…。
 残念。
 合掌。

【2010.04.21 Wednesday 14:09】 author : 元Fight野郎 | Mr. Hito | comments(2) | trackbacks(0) |
現地係員

 4月20日(火) ある要件でMove onアリーナへ。明後日に出発するBlood & Guts勢と打ち合わせ。というのも、今回は取材を兼ねてマネジャー的な役割も課せられているので。さしあたってホテルまで送り届けないといけないのだが、到着する空港が違う。しかも彼らは初めての海外遠征(旅行)。ツアーで「現地係員が対応します」というのに似た感じ。
 プロモーターと連絡を取って彼らの宿泊先を調べるなど、いろいろと細かい作業が。
 さて、どうなりますことやら。

【2010.04.20 Tuesday 23:07】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
忘れ去られて30分

 4月16日(金) 帰国翌日にNOAH米子大会取材。
 事前にオファーを受けていたもので、アイスランドのか山噴火の影響を受けずに、前日に帰国できてなにより。これが欧州経由の便で帰国だったら…と考えるとホッ。
 さて、米子大会も終了し、いったんホテルの戻ってから食事に出かける。地方に行けばその土地のものを食べたいと思うが、何せ夜遅いので、開いている店も限られる。地方ではなおさら。
 ヘタすれば焼き肉やかラーメン屋、コンビニ弁当になることも。意外と有効なのは居酒屋で、その日に漁港で上がった魚介類がホワイトボードの「本日のおすすめ」でメニューに上がっていたりする。
 少しばかりそれを期待して駅前の某チェーン店の居酒屋へ。席に通されて、店員に「用意しますのでお待ちください」といわれ、メニューを見ながらオーダーを取りに来るのを待っていた。しかし10分たっても来ない。店内は忙しそうで、さらに待つこと5分。全く忘れられたかのよう。
 ちなみに隣のテーブルには店員が追加注文を何度も取りに来ている。こちらのテーブルにはドリンクひとつ出されておらず、何も用意されていない。おかしいと思わないのか?
 結局、30分過ぎても誰も来ず。「30分たってもオーダーすら取りに来ない」と店長に伝えて店を出た。
 まあ、暴れなかっただけよしとしていただこう。
 ちなみにこういう時、JS氏はどうするか。
 ホテルだとマネジャーを呼びつけて「宿泊費を返せ」と騒ぎ立てる。キャッシュで返せないとなると、「1泊分のポイントをつけろ!」。ちなみアメリカでの1泊分で、タイでは3泊きるできるとかできないとか。
 そういえば空港周辺のホテルに宿泊した際、ホテルシャトルのドライバーがどの航空会社を聞くのを忘れて自分が利用すべきターミナルを通過したからといって、すぐさまクレームの電話を入れてポイントで宿泊費をタダにしてもらってって自慢げに話していたなあ…。
 そんな私が直接聞いた武勇伝を周りに話すと、みんな「凄い!」と言いながらも、「そういう人にはなりたくない」。
 とはいうものの、これぐらいたくましくなければ、アメリカでは生き残れないのだろう。
 そんなこんな考えたが、一言伝えて店を出たぐらいはまだかわいい方?

【2010.04.17 Saturday 00:32】 author : 元Fight野郎 | JS | comments(9) | trackbacks(0) |
荒法師

 4月15日(木) ほぼ定刻通りに関空に到着して無事帰宅。インターネットを開いてみると、ジーン・キニスキー死亡が報じられていた。
 私の中でキニスキーは歴史上の人物。写真で見たぐらいで、動画としての記憶はない。むしろ、全日プロに何度かゲストとして来日、現役時代というか写真で見たまま、カニのような顔という印象の方が強い。
 全盛期を知るミスター・ヒトに言わせると、「あんな元気なオッサンいない」となる。
 「プロレスはうまくない。ただ、休みなく1時間ずっと動きっぱなし。それでいて全然、息が切れない。逆にキニスキーと闘う方が、動かされてバテてしまうんだから。馬場さんはそのキニスキーといい試合をしたんだから大したもの。ほかに誰もキニスキーといい試合なんてできないよ。それに馬場さんってあのボボ・ブラジルともいい試合をしただろ? あの2人といい試合ができるレスラーは馬場さんしかしないよ」
 キニスキーと聞くと、ナスターシャ・キンスキーが思い浮かんでいたのは遠い昔のこと…。

【2010.04.15 Thursday 23:39】 author : 元Fight野郎 | Mr. Hito | comments(0) | trackbacks(0) |
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