元Fight野郎

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【2019.08.02 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
怪情報
 11月30日(金) 昼過ぎ、某レスラーから問い合わせの電話が。
 「○○さんが亡くなったって本当ですか?」
 エッ、そんなん聞いてないけど。今朝のスポーツ各紙に写真入りで載っていたし。
 でも、本当ならビッグニュース。確認を取らなければ。
 早速、関係者に連絡したところ、「4時間ほど前に電話で話しましたよ。無事着いたって」。
 なぜ、こんな情報が飛んだんだ?
【2007.11.30 Friday 15:51】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
VFK 4th
 11月29日(木) VKF「レッスルナニワ」の取材。顔を合わせた何人かから逆取材を浴びました。そのいずれも同じ質問。
 「大阪(プロレス)はどうなんですか?」
 思ったことをストレートに話すと、「そうですか……」。
 ついでに松井レフェリーにあることを確認。「そうなんだ……」。
 「レッスルナニワ」も回を重ねて4回目。ようやく一つの形が出来上がってきた感じ。川村オーナー、「来年、面白いことが起こりますから」と意味深発言。もしかしてあれと関係している?
【2007.11.30 Friday 15:50】 author : 元Fight野郎 | - | comments(1) | trackbacks(0) |
怪人
 11月26日(月) 別の仕事での取引先でのこと。そこの女性事務員、前から誰かに似てるなあ……と思っていたんですが、ようやく判明した。その元ネタは……






























 ガラオックス!
 といっても、わからない人も多いことでしょう。ショッカー(仮面ライダー)の怪人です。どんな顔かは、検索してみて。
【2007.11.30 Friday 15:50】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
稲尾記念館
 11月20日(火) 『無我ワールド』大分大会取材。会場入りまではちょっとした観光。別府まで足を延ばして『稲尾記念館』に向かう。2008年国体の会場ともなる別府市民記念球場(通称・稲尾記念球場)のスタンド下の一角に設けられた『稲尾記念館』。1週間前に急逝されたこともあって、看板には喪章が。決して広くはないが、地元が生んだ英雄の栄冠が詰まったスペース。銅像が迎えてくれ、3連敗後の4連投4連勝で獲得した際の日本一ペナントをはじめ、稲尾投手個人が獲得した各賞のペナント(防御率1位のペナントにはその年の記録が刺しゅうされていた。ということはほかの各賞にも記録が記されているんだろう)、トロフィー、現役時代のユニフォームが展示されていたほか、鉄腕へインタビューしたTV番組(だと思う)が常時流されていた。
 それにしてもこの別府市民球場。両翼92m、中堅122m。しかもファールグラウンドの広さは阪神甲子園球場と同じで外野は天然芝という立派な球場。2日前にはオープンを記念して名球会を招待して地元選抜チームと記念試合をおこなったが、さすがの名球会チームもノーヒットに抑えられて敗れた。
 その後、『無我ワールド』の会場となった大分イベントホールへ。残念ながら厳しい入り。いろいろと気づいた部分はあったが、ここでは省略する。西村離脱の件ではいろいろと言いたいこともあるだろうが、あえて聞かないことにした。それでも一つだけ確認事項があったので、それだけを雑談の中から引き出して“収穫あり”。“復活ファイト”に関してもご協力していただけるそうで。ありがたいこってす。
【2007.11.23 Friday 20:46】 author : 元Fight野郎 | - | comments(1) | trackbacks(0) |
小さな巨人と
 11月19日(月) せっかく博多まで来たんだからと、大分まで足を延ばすことに。明日の『無我ワールド』の会場を覗いて帰ろうと。まあ、いろいろと挨拶しておきたいこともあるんで。
 博多から大分への移動。時間もあることだし、鈍行列車でのんびりと。車窓から秋の風景を眺めながら……。でも疲れるわ。
 さて、食事を終えてホテルへ戻ろうとしたところ、グラン浜田とバッタリ。(小さくて)正面からやって来るのを確認できないところに声をかけられたものだからビックリ。そのまま拉致されて酒の席へ。軽〜くお付き合いしたところで、お開き。朝までコースでなくて助かった。
【2007.11.20 Tuesday 07:51】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
オチはJS?
 11月18日(日) ドラゲー博多大会取材。大阪市長選挙の投票を済ませてから博多に向かう。
 会場では鈴木健想夫妻といろいろと話し込む。健想に「メキシコでは大変だったようで……」と声をかけると苦笑い。「いやあ、いろいろと勉強させていただきました」だって。
 その後、浩子夫人とも雑談。そこに試合を終えてやって来た健想。「ン、その話はジミーさんかな?」とニヤニヤ。
 それにしても西村の『無我ワールド』離脱には驚いてましたね。浩子夫人は「無我から無我がいなくなってどうするんですか?」だって。「いやあ、ショック……」とポツリ。
 ちなみに『週刊ファイト』休刊もご存じなかったようで。最後は「そんな状況の中でジミーさんはどうしてらっしゃるのですか?」。やっぱりオチはそこかい!
【2007.11.20 Tuesday 07:50】 author : 元Fight野郎 | JS | comments(0) | trackbacks(0) |
神様、仏様…
 11月13日(火) 元西鉄ライオンズ投手、“鉄腕”稲尾和久氏が亡くなった。通算276勝。1993年に殿堂入りしたレジェンド。日本シリーズ4連投4連勝という不滅の記録を残した怪童である。しかもそのシリーズの西鉄は巨人相手に3連敗4連勝で、稲尾の投手成績は4勝2敗。7戦中6戦の勝敗に絡んだ投手はほかにいない。それだけでなく第5戦では自らさよならホームランを打って勝利を決めた。58年のG戦士は「稲尾1人にやられた」と振り返る。
 “天才”長嶋茂雄と対決した日本シリーズ。ボールをリリースする直前に長嶋がどのコースを狙っているかを見極めて、ストレートの握りのまま、外角狙いならシュートを、内角狙いならスラーダーを投げた。それができるのも怪物だが、それで長嶋を完璧に抑えたというのだから、またもや驚き。
 年間42勝。今後、この記録を破る投手は出てこないだろう。草野球でも出ないのではないか? ほかにもシーズン20連勝、3年連続30勝という信じられない記録も。日本シリーズ通算11勝も記録なら、58年の日本シリーズでは1人で47イニングも投げている。
 肩を故障するまでの8年間に限れば、234勝92敗。実に勝率.717、防御率2.07(生涯防御率1.98)。
 まさに不滅の大記録。監督もよく、そこまで稲尾を使ったものだ。よほど体が頑丈だったのだろう。小学生時代に家業(漁師)を手伝い。毎日のように櫓をこいで海に出ていた稲尾少年。生活の中で知らず知らずのうちに体が鍛えられていた。別府湾の荒波にあおられ、不安定な足場で櫓をこぐことによって柔軟な筋肉がついただけでなく、バランス感覚も養われた。それが“鉄腕”の原点。それは稲尾氏自身が語っている。
 「神様、仏様、稲尾様」という名言を生んだ大投手。
 そういえば今年7月にはプロレスの神様も亡くなった。ある意味で2007年はプロスポーツ界の大きな節目となるのだろうか…。
【2007.11.15 Thursday 03:42】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
キーロックで敗れた男
 11月11日(日) くいしんぼう仮面プロデュース興行取材で神戸サンボーホールへ。会場に着くや、中学・高校の同級生とバッタリ。「何してんねん?」って言われても、取材やがな。
「そっちこそ何してんねん?」。何でも付き合いで見に来たとか。昔はよく、一緒に新日プロ大阪大会に行ってたものやけど。
 彼と初めてプロレス生観戦したのは79年11月。全日プロ尼崎大会やった。直前にジャイアント馬場が2度目のNWA世界ヘビー級王者となり、尼崎で前王者ハリー・レイスのリターンマッチを受けるということで、前日に観戦を決めたもの。たまたまその日が文化祭の振替で休校だったこともあって、早くから会場に向かったもの。
 私の生観戦生涯第1試合は百田光雄vs越中詩郎。当時の越中は連敗街道バク進中。ベテランの力道山2世に勝てるはずもなく敗退。ちなみに決まり手は鍵固め。要するにキーロック。百田がキーロックを決めてローリング。何周かしたところでゴングが打ち鳴らされた。私にとってド演歌ファイターは、今でも“キーロックでギブアップした男”である。
 ちなみに翌週から学校ではキーロックが流行技に。柔道の練習試合で使うヤツまで出る始末。もちろん反則なんですが。出も、ローリングしても誰もギブアップしなかった。完璧に決まっていないこともあったんでしょうが、「前座の若手がギブアップしたような技で負けたくない!」という思いもあったんでしょう。
 さて、くいしんぼう興行。ゲスト参戦の鈴木みのるの独壇場。お笑いプロレスの中に入っても、しっかり自分のスタイルをキープしながら違和感なくこなすもんなあ。そりゃあ、売れっ子になるはずだわ。
【2007.11.15 Thursday 03:42】 author : 元Fight野郎 | - | comments(2) | trackbacks(0) |
合コン?
 11月8日(木) 食事ほどその状況によって性格の変わる時間もないだろう。1人で食事するにしても、とにかく食べるだけ、エネルギー補給という「餌」の時もあれば、外食でも周囲の様子を楽しみながら過ごすこともある。とはいうものの、どこにもその場の雰囲気を壊す人はいるもので…。
 とにかく見たくないのは、食べ方の汚い人。そんな人と相席にでもなろうものなら、どんなに美味しい料理もまずく感じてしまう。先日もカウンターの向かいの席に座った若者が器を持たないで丼物を食べていた。犬が餌を食べているような感じ。しかも携帯電話をいじりながら。いやあ、思わずくらわしてやろうかと思いました。
 そういえば朝の情報番組などでよく街のレストランが紹介される。一般から公募したリポーター(まあ、芸能事務所に所属している者もいるが)が担当することも多い。オーディションの際、食べ方なども審査されるのだろうか? 食べるときの口の開け方や、料理の運び方など。箸の持ち方がおかしいリポーターに紹介されても、美味しく見えるはずない。
 さて、この日、立ち寄った居酒屋。ちょうど混雑している時間帯だった。カウンターは満席で、テーブルもほぼ埋まっていた。とはいうものの、店側は売り上げを上げるために何とか利用してほしいところ。そこで店員が掛けてきた言葉は、「ちょっと待っていただかないといけませんけど、テーブル席でご相席ならすぐにいけますが…」。「合コンなら…」と思って了解したところ、案内された席には男性グループが。当然、会話がはずむことはなかった。
【2007.11.15 Thursday 03:41】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
女帝
 11月4日(日) 女帝ファビュラス・ムーラが11月2日22時半(現地時間)、サウスカロライナ州コロンビアで亡くなった。84歳。
 初期の「レッスルマニア」に参戦しているが、彼女の現役時代を知るファンはごくわずかだろう。まさに女子プロレス界におけるレジェンドの中のレジェンド。レスラーとしてだけでなく、レスリングスクールを開き、多くの女子レスラーを養成した。一時は米マットにおける女子プロレスを牛耳っていた。
 1972年、それまで女人禁制だったMSGに初登場。歴史を変えたレスラーでもある。
 1999年10月にはアイボリーを破ってWWE世界女子王座を手にした。このとき76歳。正確な記録は定かではないが、おそらく男子も含めたプロレス界における最高齢戴冠ではないか。
 2003年9月には80歳記念マッチとしてRAWで試合を行い、ビクトリアをエビ固めで破っている。
 1995年にはWWE「HALL of FAME」で殿堂入り。まさにムーラは生涯現役でこの世を去った。
 2004年3月、「レッスルマニア20」取材で渡米した際、ニュージャージー州で開催されたファンフェストに参加していたムーラ。ゆっくり話す機会がなかったのが残念(その時は、レイ・ラニ・カイ、SDジョーンズと話し込んだ)。
 RIP。
【2007.11.07 Wednesday 15:45】 author : 元Fight野郎 | - | comments(1) | trackbacks(0) |
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