7月27日(金) 久しぶりに自宅に戻った。真っ先にしたのが情報収集。JS氏のblog閉鎖に関しては、すでに関係各位から連絡をいただいていたので驚きに値せず。これによりごく一部で「三位一体型」と表された当blogも新たな立ち位置を探さなければならなくなったことだけは確かだ(というが、全くそんなことは意識していない)。
さて、またしても飛び込んできたのが訃報。7月23日(現地時間)にトーア・カマタが亡くなった。70歳。
日本ではその体形、ヒールスタイルからアビー(アブドーラ・ザ・ブッチャー)のコピーと思われているカマタだが、「タフな東洋人による拷問ファイト」というスタイルを開発したレスラー。ちなみに「トーア・カマタ」のリングネームは「蒲田徹(かまた・とおる)」という日本人名から拝借もので、K−1、新日マットに参戦したTOAとは由来が違う(トーア・カマタはTor Kamata)。
カマタと直接の面識はないが、Canadian Hall of Famerである彼は、モントリオール、カルガリーではミスター・ヒトとの東洋コンビで活躍したのだとか。ヒトいわく、「いいヤツだった。特にハートがね」。
あるTVインタビューでのエピソード。プロモーターから怪奇派東洋人をイメージするパフォーマンスとして、「鯖を生で食ってくれ」と頼まれた。まだ寿司がポピュラーでない時代で、生で魚を食べるのはクレイジー。プロモーターは冷凍の鯖を用意。ある程度解凍させたところで、切り身ではなく、そのままかじってくれと頼んできたのだ。
「そんなもの食えないよ」とヒトは拒否したが、「オレがやる」とプロモーターの要請に応えたのがカマタ。カメラが回り一通りしゃべり終えたところで、カマタGATEにしていた鯖をガブリ。しかも尾の部分ではなく、腹を噛みちぎったものだから、口の周りにははらわたがまとわりついたという。
ヒトは横で鯖にかぶりついているカマタを見て、気持ち悪くなったという。それでも思い描いていた以上の絵が撮れたことでプロモーターは大喜び。もちろんNGが出るはずもなく、収録は一発OK。そこまでしたのだから、このコンビがビッグヒールになったのはいうまでもない。
少年時代に満足な教育が受けられなかったカマタは、5以上は数えられなかったという。それでもハワイで開業したドーナツ屋は大繁盛。売り上げを紙に記録するのだが、カマタは数字ではなく線(棒)を書いていたという。タテに4本引いて、5本目はそれらにクロスするように横に引く。それで「5」を表していたとか。その「5本線」がいくつあるかで売り上げがわかる仕組み。「できない」「わからない」ではなく、自分の能力に合わせて工夫。ある意味、頭の回転はよかったのかもしれない。「普通に数を数えることはできないんだけど、カネの勘定だけは間違えなかったな」とはミスター・ヒトの証言。
「カマタは女性が好きでね……」とミスター・ヒト。「まあ、男好きよりはよっぽどいいけど(笑い)」。
カルガリーでは女性同伴で会場入りすることもあったという。中には「あれが好きな女がいた」(ミスター・ヒト)とか。時には、「コイツがほかの男としたいからっていうから」ということもあったという。カマタはその彼女と試合前にトイレで一戦交えたが、事に及んでいる間、トイレの前にはレスラー、関係者が列を作っていたとか。もめないように、カマタは事前に順番を決めていたという。
ちなみにミスター・ヒトが試合を終えてトイレに行くと、個室から「パンパンパンパン……」という音が響いていたそうだ。
来日した際には、桜エビを大量に買って帰ったとか。それで一発当てたというから商才も備わっていたのだろう。
ハワイ出身のカマタだが、晩年はカルガリーに住んでいたという。よほどカナダの水が合ったのだろう。
合掌。