8月2日(金) ハーリー・レイスが亡くなったとの報が飛び込んできた。76歳。肺ガンで入院したとの情報が流れていたが、それが原因の合併症が死因となった。
“ハンサム”のニックネームから「美獣」と称されていたが、70年代から80年代前半は通算8度の王座に就いたNWA世界ヘビー級王座として活躍。スーパースター・ビリー・グラハム、ボブ・バックランドを相手に、2度にわたってWWFヘビー級王者と“統一戦”を行った歴史的レスラーでもある。まさに“ミスターNWA”。レイスのWWF移籍とともにNWAはクロケット・プロ独占状態になったのだから、レイスが去ったとともにNWAは終焉を迎えたといっていいだろう。
「ミスター・プロレス」「キング」とも称されるが、一番似合う称号は「親分」。JBエンジェルスがWWF(当時)をサーキットした際、彼女らに言い寄ってくる男子レスラーに対し、「大事な娘を預かってるんだ」と睨みを利かし、無言のうちに遠ざけていたという。決してウソではなく、JBの2人も「レイスさんが守ってくれました」と語っている。
リングを下りてからも業界に与える影響は大きく、2008年6月、永源遙がカリフラワー・アレイ・クラブでインターナショナルレスラーとして表彰されたのは、レイスの強い推薦によるものだった。
スピード狂でも知られるレイス。ハイウエーでは前の車にパンパーをつけて加速、200km/hで押したというエピソードも持つ。現役引退の原因となったモーターボート事故による負傷も、スピードの出し過ぎが原因だった。
レイスが得意としていたダイビング・ヘッドバットは、ミスター・ヒトから盗んだもの。肩口に当てるのではなく、大の字になっているレスラーの前頭部めがけて降下するのが特徴だった。
WWF移籍後の称号となった「キング」を受け継いだのがハク。タマ・トンガの父である。ともにケンカが強いという点も似ている。
2008年9月、ミズーリ州エルドンでのWLW−NOAH合同レスリングキャンプを取材した際、日本での写真を手土産に自残。日本プロレス時代のものも多数含まれており、そこに写っている日本人選手一人ひとりの印象を語っていたことが思い出される。日本プロレスを知る数少ない外国人レスラーだっただけに、親分の記憶を記録に残していないことが悔やまれる。
R.I.P…
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記者席で仕事の準備をしていると、菅林直樹会長がやってきた。「定年いつでした?」と挨拶がわりに言葉を交わす。「会長が新日本を離れたら、昔ながらの興行スタイルを知っている社員はいなくなるんじゃないですか?」「タイガー服部レフェリーが新日本を離れたら、外国人選手に意見を言える人もいなくなりますね」という話題で雑談。
来年2月の札幌2連戦が発表される。1月の東京ドーム2連戦、大阪城ホール年2回開催など“快進撃の新日本”というイメージに包まれているが、裏を返せば、それだけ大箱興行をぶっ放さないとやっていけないということか?
来年は東京オリンピック。G1シーズンと重なるだけでなく、五輪だけでなく、その後のパラリンピックも含めると9月いっぱいは首都圏の大会場の使用が難しい。そのあたりも影響しての大箱連発なのかな……などと余計なことを考える。
さて、仕事を終えてお気に入りのすし屋に向かうも、どうやら閉店した模様。残念……。
そういえば、仙台のお気に入りのハンバーガーショップも店じまいしていた。ちょっと運気が落ちてきたか……。
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K−1の取材なんて何年ぶりか。以前、取材していたころとは、スタッフもガラリと変わっている。地上波での放映もなくなり、ダイナミックな仕掛けもしなくなってしまったが、逆に地道に若い格闘家に活躍の場を提供しているという印象。
試合ごとに出場選手が出席しての8・24大阪のカード発表会見。選手が呼び込まれるとプロデューサーからそれぞれのカードの見どころ解説。選手からのコメントののちマスコミからの質疑応答という段取り。しかし報道陣が少なく、1人で全試合の質問をすることに。事前にそれぞれの試合に関しての質問事項を挙げておいたが、同じ質問ばかりするわけにもいかない。また、すでに選手がコメントしたことを再び質問するのも恥ずべきこと。などを頭に入れてほぼ独占取材。なんとか無事に乗り切る。
会見終了後に、あらためて関係者に挨拶。「ここ、いいホテルですね」と言われたので、「G20で世界の要人が泊まられてましたから。1週間前、周りは物々しい警備でしたよ」と伝える。
]]>4月2日(火) 一行より一足早く、レッスルマニアウイーク取材のため渡米。
今回は早朝便で羽田経由。羽田空港でWi-Fiルーターを受け取り、早々に出国ゲートを通過。いつの間にか出国手続きはセルフになっており、出国スタンプも省略。スムーズに出国手続き終了。ンー、何となく拍子抜け。
航空会社ラウンジに立ち寄り、朝食をいただく。なかなか充実しており、ついつい食べ過ぎた。朝からビールもいただく。そうこうしているうちに搭乗時間。個室タイプになったビジネスクラスは、なんかネットカフェみたい。これ、新婚さんにはお勧めできないな……。
アサインしたのが非常口席のため、CAがいざという時の協力を伝えに来た。いつものようにジョークを返すと、CAも「私もしたことないんです」。後続部隊にメールを送って機上の人に。
さすが日系航空会社。エコノミークラスでもしっかり味わえる機内食。到着後の準備を終えて、アントニオ猪木vs前田日明
をはじめとする機内エンターテインメントを楽しむ。
「パラダイス・アレイ」や「カリフォルニア・ドールズ」「ナチョ・リブレ 覆面の神様」「ビヨンド・ザ・マット」「レスラー」「力道山」「グラン・マスクの男」「ガイア・ガールズ」、日本作品としては「リング・リング・リング」「いかレスラー」「兜王ビートル」「あゝ!一軒家プロレス」「お父さんのバックドロップ」、最近では「パパはわるものチャンピオン」など、多くのプロレス映画が制作されてきた。
道頓堀プロレスの全面協力で撮影された「おっさんのケーフェイ」(谷口恒平監督、制作:花園シネマ、配給:インターフィルム、助成:シニアスト・オーガニゼーション大阪、2017年)が2月に新宿「K's cinema」で上映されたが、今後順次、全国での劇場公開が予定されている。そのプロモーションとして、同作品でプロレス監修を務めた空牙と谷口監督が各メディアの取材に応じた。そのインタビューをお届けする。
◇ ◇ ◇
−−すでに東京では上映が終わりましたが、評判をどのようにとらえてますか?
谷口監督 メディアへの取材を組めなかったで、序盤は興行的に苦戦したんですけど、徐々に見てくれる方が増えてきて、最終日には満席になって、盛り上がったピークで終わったという感じです。
−−上映が延長されてればというかんじだったんでしょうか?
谷口監督 したかったですね。プロレス好きな方に(上映の情報を)届けるのが難しかったんですけど、1・4東京ドームでチラシをまいたり、プロレス好きのお店に行ってお知らせしたりして、ちょっとずつちょっとずつ気にしてくれた方が見に来ていただいて、その人たちが広げてくれたんで、(劇場に足を運んでくれたのは)プロレス好きの方が多かったですね。映画好きの方と半々ぐらいでしょうか。ただ、印象では、若者が全然来てなかったかなというのがあって、結構、年配の映画ファン、プロレスファンの男性が多かったですね。もっと若い人に広げていきたいなというところです。
−−2017年制作ということですから、例の「パパはわるものチャンピオン」(棚橋弘至主演)よりも先の作品になるんですよね?
谷口監督 そうなんです。2016年の年末から撮り始めてますからね。「パパはわるものチャンピオン」との違いは、主人公をレスラーではなく、役者に演じていただいたことでしょうか。棚橋選手がパパの役をするのはすごく説得力があると思うんですけど、自分も今回、映画にするときにレスラーの方にって考えもなかったわけじゃないんですけど、感情を見せるという部分で勝負しようと思ったんで、そのかわり、自分が信頼する役者である川瀬陽太さんを“おっさん”(坂田)の役にできたことで、逆に子供たちや、対峙するレスラーの方は、川瀬さんがなんとかしてくれるかなという感じで、結構自由、にキャスティングしたというか、その人たちの演技力というより、人間力っていうか、その人の印象や顔を見て決めました。
−−「パパはわるものチャンピオン」はご覧になられましたか?
谷口監督 はい。
−−印象は?
谷口監督 寺田心くんがすごいなって。彼が一番しっかりしてないといけなかったと思うんですけど。それに比べて自分は、それよりも子供たちがそのへんを走り回ってるような作品にしたかったので、子役のスキルじゃなくて、面白い子供たちをそろえたかなと思ってます。
−−そもそもプロレスを題材にしようと思ったきっかけや決め手はなんだったんですか?
谷口監督 自分は映画や芝居、漫画、テレビなどいろんなもので興味を持った時に、一歩深くというよりは気になったものを全部見ていく感じなんです。自分はずっとプロレスを見てきたわけじゃなかったんですけど、印象に残ってるのが、4年前ぐらいに見た「マッスルハウス」。マッスル坂井さんが鈴木みのると対峙したDVDを買って見てたんです。それを見た時に、プロレスでこんな表現をしてるっていうのが強く残ってて。最初はプロレスを斜めから見てるような視点でやってるものが、一つの興行を通して、どんどんリアルなものを見るようになるというか。どこまでが演出の部分で、どこからがナマの部分なのかっていうのが、だんだんどうでもよくなるっていうか、一体になる瞬間があるのかなと思って強く印象に残って。その影響が大きいですね。
−−この映画を撮影するまでは、さほどプロレスに接することはなかった?
谷口監督 そうですね。「レスラー」(ミッキー・ローク主演)とか「カリフォルニア・ドールズ」(ピーター・フォーク主演)とか、映画でプロレスを観ることはあったんですけど、ナマの試合を見に行くというのはなくて。この映画の企画が通って撮影をするっていう時になって、道頓堀プロレスに足を運んで見させていただいたんです。なので、初めて見た時の印象とかをストレートに脚本に入れられたかなと思うんですけど。
−−そのぶん、スレた見方じゃないから、このような作品になったのかもしれませんね。
谷口監督 どうなんでしょうね。そのへんはよくわかりませんけど(苦笑)。プロレスっていうのは長く見られてる人が多いですけど、最初にナマで見た人の反応ってすごいですよね。知識としては知ってても、実際はこうなのかと。僕がすごく印象に残ってるのは、菊池悠斗選手がHUB選手と闘った試合で。その日の第1試合で、僕がほんとに最初に見た試合。それで結構、引き込まれたというか。
−−どのように?
谷口監督 自分はどうしても菊池選手の方を見てしまって。結構、押されてる展開だったんですけど、やられてる人に感情移入していくところがあって。負けという結果が出てからも菊池選手を見てたんですけど、そのあとの試合ではTシャツを着て先輩の世話をしてたり、売店に立ってたり、負けてからも一生懸命で。そういうところもプロレスから学べて、すごく印象に残りましたね。試合が終わったときも、勝った選手にだけでなく、負けた選手にも拍手が送られて。選手にだけじゃなく、試合全体に向けて拍手を送ってるという感覚で伝わってきて。勝敗が絶対的だとか頭でっかちに考えてたものが、ナマで1回見た時に壊されたなっていうのがありますね。
−−実際にレスラーも出演されてますが、彼らの演技に対して苦労したことや頭を悩ませたことはありましたか?
空牙 セリフですね。一発目の台本をもらった時に、「こんな表現はダメだ」って、何回も書き直しさせて。
谷口監督 空牙選手には“プロレス監修”としてもかかわっていただいたんですけど、現場に来てプロレスを知るっていうだけじゃなく、映画自体のプロレスのとらえ方に関しても意見を交わして作っていけたなと思いますね。現場での演出の関しては、赤城選手の出番が多いことですね。セリフも多いですし、“大丈夫かな?”というのはあったんですけど。単純に、プロの役者でない方に、これだけセリフが多い役をやっていただくということで。もうちょっとセリフを少なくするとか短くするとか、シーンも変えるとかも考えたんですけど、お話していくなかで、赤城選手の中でも感情を重ねられるポイントがあるって言っていただいて。僕はそのことを知らずに“森田”っていう役を作ってるんですけど、赤城選手が15年間ずっと、大阪プロレスでミラクルマンをやられてきて、そこから脱しようと思ってもお客さんからそれを求められるっていうことだったりとか、そういうのがたまたまリンクする部分があって、「森田にとって、それはこういうことなんですよ」とかいう話を時間をかけてさせてもらって。テクニックでお芝居するっていうのではなくて、どっちかっていうと赤城選手の感情を出していただこうっていう感じでいったので、そのへんがうまくいったかどうかは見た方が感じていただければ。個人的には、それでよかったなと思ってますけど。あと、川瀬陽太さんは逆に、プロとして何本もやって来た役者さんなんで、ある種テクニック的になるというか。そのへんはクライマックスで対峙するときに、いいバランスになったかなと。僕が面白いと思ったのは、覆面レスラーである赤城さんが素顔で、顔で勝負する役者である川瀬さんがマスクをかぶって対決するっていうのが。アプローチの仕方も、どちらかっていうと川瀬さんの方が動きを意識して、赤城さんの方が感情を引き寄せるっていう、役者ばプロレスラー的になっていき、プロレスラーが役者的に動いてるっていう逆転現象があって。
−−撮りながら不思議な感覚になってました?
谷口監督 そうですね。「あれ? なんだ、これ?」って感じになってましたね。川瀬さんからすると顔の芝居が全部奪われるので、体全体で表現しないといけなくなっていって、赤城さんに対しては結構、カメラで表情をとらえようとして。あとはそのままの感じで。山下りなさんもどういうふうになるか想像してなくて。現場に入る前に1回、お話はさせていただいたんですけど、特にリハーサルとかなくて。あの格好で現場に来ていただいて、「じゃあ、やってみましょう」ってやっていただいた瞬間に、「それでOKです」って感じで。「思いっきりやっていただいてOKです」って。
−−一発OKですか?
谷口監督 はい。
−−プロレスラーって、役者として使いやすいですか? 監督の意図をすぐに理解してくれるとか……。
谷口監督 川瀬さんには「ここで、こっちに目線を流して、こっちにはけてください」とか、結構、細かいことを言うんです。役者さんにはそう言うんですけど、プロレスラーや子供たちなど演技とは違う時間軸にいる人たちには、なるべく素を出してほしいっていうか。川瀬さんの素を見たいと思わないですけど、子供たちやプロレスラーの方は、そっちを引き出す方で。多少、目線が違ってても気にせずに、やりやすい方で。その人の好さが出る方向で撮るってやり方で。
−−逆にカメラマンに「そこを押さえろ!」と厳しく指示する方ですか?
谷口監督 どっちかっていうと、そうですね。こっち(監督)のやり方に合わせてもらうっていうか。でもそれも、川瀬さんがいたからかなと思いますね。
空牙 プロレスラーじゃなかったら、もっと注文があるんでしょうけど。
谷口監督 でも、そのプロレスラーをキャスティングしてる時点で、狙いとしてはその人が持ってるものを映画に取り入れようってことなんで。でも僕は、結構、役者じゃない人を入れたりするんで。普段、演技をしてない人の良さを出そうっていう。今までも結構、そうでしたし。
−−役者は基本、正面向いて演技されますよね? でも、プロレスラーは常に四方から見られている。その違いは感じられました?
谷口監督 普通、役者は全体から見られるってことはないんで、舞台なら前にお客さんがいて、映画だとカメラがいくつかの方向にある。ですから(プロレスラーには)背中の説得力がありますよね。
−−プロレスラーを起用したことで、撮影中に新しい発見とかはありましたか?
谷口監督 赤城さんが「リングの中で闘ってても世の中変わらへん」って言って飛び下りるシーンがあるんですけど、脚本には動きに関して細かく書いてないんですけど、実際にリングから飛び下りて立った時に、森田という男が元レスラーで政治家になろうとしてる人間が見えたというか、説得力がありましたね。脚本を書いてるときっていうのは、アクションよりもセリフにとらわれているところが大きくて。それを実際に撮影するときに初めて人が動いて表現するんですけど、そういう動き一つ、たとえば「殴る」ってだけ書かれてても、それが実際にどういう動きになるかっていうのにも、その人が見えるっていうか。ちょっとした動きでも、そうだなと思いましたね。あと赤城選手って、すごく手首を見るクセがあるんですよね。リストバンドをしてるので、最初はセリフが書いてあるのかなと思ったんですけど、試合のシーンだけじゃなくスーツを着てても手首を触ったりするんです。狙った演出じゃないんですけど、スーツを着ていてもまだプロレスを捨てきれてない男っていうものが出てきて。最初は気になったんですけど、そのまま使いましたね。
−−逆に意味のある動きになったと?
谷口監督 自分の思い描いた絵にするぞっていう凝り固まった監督だったりすると、「手首を見たり触ったりするのは我慢してください」ってなるんでしょうけど、自分はそこはあまり言わなかったですね。
−−試合シーンは長回して撮影したんですか?
空牙 止められながら、カットされながらっていうのもありましたね。でも、いつもと違った感じで楽しかったですよ。もっと撮影したいぐらい。
−−試合シーンの撮影は、エキストラの観客の方が戸惑ったかもしれませんね。撮影の合間に待たされたりとか……。
空牙 入場シーンでも要領がわかってるので盛り上がてくれますし、自分もワクワクしながら次の展開を待ってました。
谷口監督 自分も行くことがあるんですけど、映画のエキストラって、結構つらいんですよね。同じことをやらされてとか、待ち時間が長いうえに、「はい、やってください」って急に言われたりとか。すごいストレスがたまるんですけど、そのへんはすごくうまくできて。自分も大勢の人のさばきは慣れてないんですけど、皆さん芝居じゃなく自然と盛り上がってくれて。道頓堀プロレスのマグナム北斗さんがしゃべりがたつので、僕たちスタッフが映画に集中して放ったらかしになってるところをうまくつないでくれたりで。マグナムさんをはじめとする道頓堀プロレスの皆さんおかげで、かなりうまくいったところもありますね。あれだけのエキストラの人がみんな笑顔で帰っていくっていうことはまずないんで。
空牙 撮影の現場に立ち会えたっていうことで喜んでたファンは多かったですね。
谷口監督 子供が初めてプロレスを見て、そこで出会って人生が変わるっていう大事なシーンでしただったんで、お客さんが見た時も同じ感覚に近づけたいなっていうのがあって。もちろん映画、映像ではあるんですけど、試合を見に行きたくなるように。ナマで見ている感覚にどれだけ近づけられるかなって。
−−エキストラとして演技してもらうのでなく、自然とそうなった方が作品としてリアリティーが出ると……。
谷口監督 あれで、プロレスってみんなで作ってるんだなっていうんを実感したっていうか。実際の試合でも、自分があんまりプロレスを見慣れてなくて、プロレスの見方がわからないまま会場に行った時に、お客さんたちの盛り上がりも含めてすべてが体に飛び込んでくるっていうかね。自分は初めて見に行った時、結構、後ろの席だったんですけど、それはそれで面白さがあるっていうか。お客さんたちが盛り上がっているのも込みでプロレスを見るっていうのも面白いですし、前の方でリングを見上げるプロレスも面白いなって。自分はお客さんも一部になってる気がしますね。
−−この作品を撮影するにあたって、過去のプロレス映画はご覧になられました?
谷口監督 「レスラー」とか「カリフォルニア・ドールズ」、あと「ビヨンド・ザ・マット」(バリー・W・ブラウスタイン監督)は好きな映画だったんですけど、自分がプロレスを撮るっていう視点では観てなかったんで、「カリフォルニア・ドールズ」は観返しましたね。
−−赤城選手主演作品である「兜王ビートル」は?
谷口監督 観ました観ました。
空牙 どうやって? DVDで?
谷口監督 漫画喫茶に入ってるシネマチャンネルにあったんで。観ようと思って観たわけじゃなく、たまたまですけど(笑い)。
空牙 赤城さんの演技力って、すごいですよね。
谷口監督 「レスラー」は公開時に観て。今回、観返したことはなかったですけど。日本の作品では、どういう撮影してるのかなって「ガチ☆ボーイ」(小泉徳宏監督)とか観ました。
−−「いかレスラー」(河崎実監督、西村修主演)は?
谷口監督 それは観てないですね。
−−「お父さんのバックドロップ」(宇梶剛士主演)は?
谷口監督 それは観ました。「パパはわるものチャンピオン」はまさ制作されてないのでなかったですけど、原作は読んだり。
−−「おっさんのケーフェイ」はもともと原作はないんですよね?
谷口監督 ないですね。オリジナルです。叔父さんのプロレスラーと子供っていうのは、よくある組み合わせなんですけど。
−−定番ともいえますね。プロレスラーは、悪役かマスクマン。
谷口監督 確かに……。なんなんですかね?
空牙 子供たちに勇気を与えるって感じの作品で。「ナチョ・リブレ 覆面の神様」(ジャレッド・ヘス監督)なんかもそうですね。
−−どういう方に、この「おっさんのケーフェイ」を観てもらいたいですか?
谷口監督 それはもう、大勢の方にですけど、もちろんプロレス好きな方に観てもらいたいですね。それだけでなく、プロレスを観たことない人や、プロレスに偏見がある人たちに提示したい作品ですし、今の日本に生きてる人たちに見せたい。もともと企画の趣旨が、息苦しい世界の中で、もっと楽しい生き方ができるんじゃないかっていうことでプロレスというモチーフが膨らんでいったんで。負けたら終わりっていうことではなく、ある種の緩さというか、続けていくものの魅力っていうもの、先ほども話しましたけど、プロレスには引退した選手がまたリングに上がるっていうことを受け入れる土壌があるのかなっていう。そういう見方って、いまの日本ではなかなか厳しかったりするんで、「負けた人はそれで終わり」ってなると、気持ち悪いものとかいびつなものをなるべく排除していくっていう方向になっていくのかなって思うと、プロレス自体もそうなんですけど、そうじゃないプロレス的なもの、よくわからないものでも許容するっていうか、それを楽しんでほしいなあって。映画の中でヒップホップのダンスが要素として出てくるですけど、もともとストリートで不良がやっていたものが、今では授業の取り入れられるものになった。だけど、その一方で失われていったものもあったと思うんです。プロレスはそうでなく脈々と続いてきたもので、これから先もオリンピックの種目にはならないけど、そういうものとして求められて、ずっとそこにあった。もちろん歴史的にははやりすたりもあったでしょうけど、みんなが必要としてるものなのかなと。それを広めたいので、プロレスを知らない人、「ケーフェイ」と聞いてもピンとこない人にも観てほしい作品ですだと思いますね。
−−またプロレス映画を撮りたいですか?
谷口監督 取りたいですね。次は女子プロレスを題材にした作品を撮りたいですね。あと、道頓堀プロレスの内側に入っていくような話も撮りたいと思いますね。もともとの企画がプロレスを知ってるものではないので、プロレスの内側を描こうっていう意識がなかったんで、お付き合いさせていただいてるなかで、こういう人たちの話にも非常に興味がわいてきた部分がありますし、山下りな選手に出ていただいた関係から女子プロレスも観るんですけど、女子プロレスってまた男子のプロレスとは違う感じがして。僕は涙腺が刺激されることが多いんですけど。なんなんですかね? 自分の印象としては、信頼関係の下に、その中でも意地を張って頑張ってるって見てるのが男子のプロレスなんですけど、女子プロレスは本当に嫌ってるのかなとか、やり合ってて壊れちゃうんじゃないかっていうのがあって。そこまでしなくてもっていうか、見てはいけないものを見ちゃったっていう感じとか。
−−感情をあらわにする仕方が異なるっていうか……。
谷口監督 ミュージシャンにしても、女性ミュージシャンの方が裸足で泣きながら歌うっていう感じで。男性ミュージシャンはクールにカッコよくっていう感じ。
空牙 道頓堀プロレスを見に来てもらって、マスクマンが多いっていうのもなるんですかね。女子プロレスはマスクウーマンも少ないし。顔の表情を見て感情移入していくっていうのはありますから。
谷口監督 ああ、なるほど。女子プロレスでは表情、顔って大事ですからね。確かにそうですね。
−−撮影現場の雰囲気はいかがでした?
谷口監督 僕はよかったと思うんですけど、どうですかね? ほんと余裕がなくて、今となっては反省することばっかりなんですけど。余裕の中で生まれてくるものの方が豊かだなとは思うんですけど。
−−ストーリーの流れに沿って順番に撮影していくわけではないですし。
谷口監督 ムチャクチャって言ってはなんですけど、プロレスの練習を経て成果を見せるとこが初日(の撮影)だったりで。
空牙 でも川瀬さんをはじめ、皆さん、プロレスに対してまじめに取り組んでくれたんで、教えがいがあるっていうか、日を追うごとにさまになっていくんですよ。
−−いきなりスクワット300回とか?
空牙 そこまではしませんでしたけど、ちょっとはやらせました(笑い)。河川敷にマットを敷いてやってましたからね。
谷口監督 僕も数回だけですけど、タコヤキーダーさんのプロレス教室に参加させてもらって、実際にリングの上で組み合ったり、ロープに振られたり。実際に動いてやってみないと役者さんにも指示できないし、どういう感覚かっていうのもわからなかったんで。
−−逆にそれを経験すると、役者さんに無理なことは言えなくなっちゃうんじゃないですか?
谷口監督 そうですね(苦笑)。でもほんと、どういうものか感覚的に知りたかったんで。でも、組み合って始まるっていうのはいいですね。距離を測ってからッてうんじゃなくて、ガッと組み合って「よし、やろうぜ」っていう感じで。
空牙 それだけで相手の力量がわかるっていう部分もありますしね。
−−まあ、じゃんけんで言えば、「最初はグー!」って感じでしょうけど。
谷口監督 なるほど。
−−映画で殴るシーンもありますけど、普通は殴らないですよね? でも、プロレスのシーンであれば実際に殴る。それが映像となった場合に、違いってありました?
谷口監督 プロレスの試合のシーンでは、相手が役者さんであっても実際にやりましたね。
空牙 赤城さんはムーンサルトプレス、30発ぐらいやらされました。悠斗(菊池)が受けたんですけど、受けても大変ですよ。赤城さんはそれで骨折したぐらいです。
谷口監督 実は保険がおりなくて。「プロレスラーには保険がおりないです」って言われちゃいまして。「それ(ケガすること)が前提の職業に人にはおりません」って。
空牙 それも試合用のコスチュームじゃないんです。
谷口監督 スーツに革靴でムーンサルトプレスをするっていうのがシーンとして必要だったんで。
−−もともと商業映画としての企画じゃないですよね?
谷口監督 映画館で上映されるっていうことも決まってない段階で作るってことになって。いろんな映画祭に出品するってことで。アジアン映画祭に出品するっていうことで大阪市から助成金をいただいて。それも全額ではないんで、その数倍を持ち出して作った映画なんで、こういう形で公開できて、ちょっとでも回収できたら(笑い)。長く観てもらえる映画になったらいいなと思いますけど。もちろん映画館で観てもらえたっていうのがあるんですけど、何年かたて、TSUTAYAで気になってこの作品を借りていただければ。プロレス映画コーナーに置かれて、「なんだ、これ?」っていう感じででも。それで子供がプロレスに出合ったりとかもあるかもしれないですし、長く観られる映画になってほしいですね。
−−もともと商業映画出なかっただけに、映画館で上映されることは喜びでもあるんじゃないですか?
谷口監督 そうですね。それも道頓堀プロレスさんと一緒にやってて学んだことでもありますね。映画ってもともとビジネスとして成り立ってる産業だったんですけど、それがどんどん産業として立ち行かなくなっていって、自主映画やインディーズ映画は少ない予算で制作して、ビジネスっていうよりも自己表現としてやるという意識でないといけないようになっていって。道頓堀プロレスを見ていて、定期的にお客さんを呼んで、そこで試合を見せて(経費を)回収するという形でやっている感じで。それってすごいなあって思いますね。それって今の映画に足りないもの、自分に足りないものだなあって。
−−選手自身がチケットを手売りしたり……。
谷口監督 そう、そういうところですね。映画監督もそういう動きをしないといけないっていう時代になってきてますね。レスラーの方はスポンサーも見つけて、チケットを買っていただいて、物販にも精を出して。すごいなあって思います。
−−今も映画ってフィルムで撮影してるんですか?
谷口監督 いえ、デジタルです。特にこだわりのある監督さんとか、ものすごく金銭的に余裕があればフィルムで撮るぐらいですね。同じ川瀬陽太さん主演で「月夜の釜合戦」って西成を舞台にした作品を撮影したんですけど、これは全部16mmフィルムで撮影して、16mmフィルムで上映しました。結構、挑戦的な映画ですけど、そういうほんの一部だけですね、フィルムで撮影するっていうのは。
−−今後、上映館が増える予定は?
谷口監督 増やしたいですね(苦笑)。横浜から急に上映したいっていう話があったぐらいで。北海道から沖縄まで広げていきたいですね。
−−プロレスは全国を巡業しますから、プロレス映画も全国巡業を……。
谷口監督 今は全国どこでも、その土地に名がつくプロレス団体があるじゃないですか。そうなるように。
◇ ◇ ◇
なお、今後の劇場公開スケジュールは以下の通り。
・大阪=「シネ・リーブル梅田」3月22日(金)〜
・愛知=「シネマスコーレ」3月23日(土)〜
・京都=「出町座」4月6日(土)〜
・神奈川=「横浜シネマリン」4月6日(土)〜
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3月7日(水) 獣神サンダー・ライガーが引退を発表した。おそらく、日本よりも海外の方が衝撃が走ったのではないだろうか。
会場入りしても、真っ先に着替えて練習を始めていた。アリーナに姿を見せると、あいさつの元気な声を響かせていた。若手と変わらぬメニューでウオームアップをしていたり、開場ギリギリまでウエートトレーニングで汗を流している姿からは、リングを去る決断なんて微塵も感じられなかったが、本人しかわからない部分があるのだろう。
とにかくライガーとは単独でも海外遠征の同行取材をしたことの思い出が多く残っている。ROHデビュー戦となったブライアン・ダニエルソン戦、TNAデビュー戦となったサモア・ジョー戦、オカダ・カズチカとの初遭遇となったカナダ・トロントでのタッグマッチ(UWAハードコア、ライガー、プーマ=TJP組vsウルティモ・ドラゴン、岡田かずちか組)、JAPWライトヘビー級王座奪取、PWGデビュー(エル・ジェネリコ戦)、PWSでのジョン・モリソン戦、CHIKARAでのマイク・クワッケンブッシュ戦……など。
面白かったのは、米インディー団体でのバックステージ。会場入りして控室に通された際には、まわりから「あれ、誰?」といった視線を浴びているのだが、荷物をほどいてコスチュームを取り出して試合の準備を始めるにつれ周りもライガーだと認識するのか、あいさつしようと長い列ができること。ライガーは「あいさつされても覚えてられないよ」と苦笑するばかり。早い時間から試合の準備をするタイプでないので、あまりに多くのレスラーが並ぶと、着替える時間が無くなって次第に焦りが色濃くなっていく。そんなシーンをたびたび目にした。
アメリカではコンベンションとして大勢のレジェンドが集まってのサイン会が開催されるが、そこでもライガーの元へ次々とあいさつに来る。ただ、ハルク・ホーガンやリック・フレアー、スティングなどの超大物はブースを離れられないので逆にライガーが足を運ぶ。すると、そばにいるマネジャーやセキュリティーは止められる。ライガーは「別にいいよ」とその場を去ろうとするのだが、ライガーの姿が目に入るとサインや写真撮影に忙しいレジェンドがその手を休めて握手を求めてくるほど。
ライガーのプロレス人生において大きなポイントとなったのが素顔時代の海外修行。中でもカナダ・カルガリー、ミスター・ヒト(安達勝治)宅で過ごした時期。わずか3カ月だけだったが、そこで“世界の獣神”のDNAが注入された。
そんなミスター・ヒトが「週刊ファイト」で「カルガリーへ来た若武者たち」なる連載を担当した際にライガーのことを語ってくれた。
◇ ◇ ◇
ライガーはイギリスからカルガリーに渡ってきたんだよ。確かトーキョー・ジョー(大剛鉄之助、当時の新日本プロレス北米支部長)が呼んだはずだよ。でも結局、オレのところに居座って。まあ、馳や橋本がいたから居心地がよかったんだろう。
ライガーはイギリスでもトップを張っていた。オレはそれをマーク・ロコ(初代ブラック・タイガー)から聞いていたし、新日本でもだいぶ試合をこなしていたから、こいつはいい試合をするだろうってピンときたよ。カリがリーにはジュニアヘビー級の選手も多かったしな。
でもスチュ・ハートは最初、ライガーを見てビックリしてた。「こんな小さなヤツにレスリングができるのか?」って。そういえば、「もう少し背が低ければミゼットだよ」とも言ってたなあ……。だけど、カルガリーでのデビュー戦を見たら、ガラリと評価が変わったよ(笑い)。
「ヒト、ヤマダはあんな小さいのに、なんであんな素晴らしいレスリングができるんだ!?」って(笑い)。オレに言わせれば、当然のことだよ。だからライガーは、すぐに上の方で試合が組まれるようになったね。
今でこそライガーは試合を楽しんでるけど、あの頃は必死だったよ。練習も熱心だったしさ。バーベルでも重いのを挙げてたなあ。ベンチに座ったままのショルダープレスで130kgを簡単に挙げるんだ。ガイジンでもそこまで重いのを挙げるヤツは、そんなにいないよ。だから、あれだけの体を作れたんだろうけどな。
本当にライガーの体はスゴイよ。腕も太いし、胸も厚い。まあ、手足が短いから太く見えるのかもしれないけど(笑い)。コスチュームで隠してるのはもったいないぐらい。
あの小さな体で、どこのテリトリーへ行っても食えるだけの金を稼いでたんだから、大したもんだよ。それだけいいレスリングをするっていう証明だから。
リッキー・フジがライガーを目標にしてるのは、よくわかるね。どっちも背が低くて、脚が短いだろ。
そうそう、ライガーはオレの家からよく電話をかけてたよ。あの頃から、かあちゃん(千景夫人)と付き合ってたのかな? 違ってたらゴメンな。あいつは記録を持ってんだよ。オレの家で11時間もぶっ通して電話をかけてたんだ。それにしても、よく話すことがあるもんだよ。ライガーの耳は両方ともカリフラワーになってるでしょ? だから受話器を右の耳の当てたり、左の耳に当てたり。最後は「耳にタコができた」なんて言ってたよ(笑い)。それより、そのあとに送られてきた請求書には参ったかけどな。あいつ、20万円もかけてやがんの。
それにしても、ライガーにいたずらには手こずったよ。だいたいレスラーっていたずらが好きなんだけど、そのなかでもライガーは特別にいたずら好きだったね。オレなんか毎日、気が気でなかったんだから。それも朝起きてから寝るまでな。
オレがシャワーを浴びてた時のことだよ。カナダのシャワーって、水とお湯の栓が2つあって、自分で温度を調節するんだけど、ちょうど髪を洗ってたら、ライガーのヤツ、水の方の栓を締めて止めやがったんだ。シャンプーの泡を洗い流そうとしたら、熱いのなんのって。そりゃ、当然だよな。熱湯が出てるんだから。「アツッ!」って飛び上がったよ。
すぐにシャワー室から出ようとしたんだけど、シャンプーの泡が流れてきて目が開けられないだろ? 手探りでドアのノブを探してたんだけど、タイルの上に残ってた泡で足を滑らせてシャワー室の中で転んでさ。まあ、ちゃんと受け身は取ったけど。
でも、動けない状態でシャワーの熱湯を浴びてさ。危うく大やけどするとこだったよ。誰のいたずらかわかったから、「コラ、テメエ!」って怒りながら、とにかくシャワー室から出ようと
したんだけど、あいつのいたずらはそれで終わらないんだ。ドアのノブを探し当てて握ったんだけど、アイツ、馳と2人でノブを外からライターで熱してやがったんだ。オレはそんなこと知らないから思いっきり握ったんだけど、熱くて熱くて。あいつら、追い打ちをかけやがって。
本当にあいつのいたずらは命懸けなんだから。それにしても、よく考えつくもんだよ(苦笑い)。
馳と3人で移動してた時も、ライガーはちゃかり助手席に座りやがって。一番体の大きなオレを後部座席に追いやって。で、夜のハイウエーを走ってるときに、「きれいだなあ……」とか言いながら窓を開けて夜空を見上げてるんだ。そしたら馳が助手席の窓を閉めて、ライガーは首を挟まれてもがいてるんだよ。自分でパワーウインドーのボタンを押せば済むものを、ギャーギャー騒ぎながら後部座席に座ってるオレの頭を力任せにバシバシ叩きやがって。思い出したら、腹立ってきたよ。
オレの店(お好み焼き店「ゆき12」)に来ても、いたずらばっかりして。鉄板の前に座って、「安達さん、これなんですか?」って言いながら、他人が注文したお好み焼きの具をほじくり出したり。
とにかくライガーは、いたずらのネタばっかり考えてるんだよ。子供がそのまま大きくなったようなヤツだよ。アッ、大きくなってないか(笑い)。
とにかく、一日中いたずらを考えてるようなヤツだったけど、女の子にはいたずらしなかったな。変な意味じゃないよ(笑い)。全日本女子からデビル雅美と小松美加がカルガリーに来た時も、いつもターゲットにされたのはオレだったから。女子が苦手っていうことはないはずなのに。
でも、ライガーが女の子を口説いてるのは、あまり見たことなかったなあ……。まあ、あまり英語が達者じゃないっていうのもあったんだろうけどな。あいつのために、オレが代わりに口説いてやったことがあるぐらいだよ(笑い)。馳はリングでインタビューできるぐらい英語が達者だったから積極的だったけど、ライガーは何からなにまでこっちがお膳立てしないといけなかった。あの頃から、かあちゃん一筋だったんだよな(笑い)。
それにしても、あまり英語が理解できない割には、スチュ・ハートとちゃんと会話してたから不思議だよなあ。まあ、あいつには明るさがあったからだよね。とにかくライガーがいる間は笑いが絶えなかったよ。
ライガーはカルガリーに来てからずっと、「オーロラが見たい」って言ってたんだ。「安達さん、オーロラ見せてください」って。オレが作るわけじゃないんだけどな。
初めて見たのは試合の帰り、ハイウエーを走ってるときだったな。車の窓から首を出して、「うわあ、きれいだなあ!」って子供みたいに騒いでたよ。
レスリングは素晴らしかった。教えることがないぐらい。イギリスからカルガリーに入りしたわけだけど、最初の試合からヨーロッパスタイルの変なクセは抜けてたね。まあ、カルガリーは日本のスタイルに近いから、やりやすかったのかもしれないけど。それでもアメリカンスタイルをうまくミックスしてたもんなあ。器用なヤツだよ。
一つだけ気になったのは体が硬いこと。でも、それが気にならないスタイルを身に着けてるよ。
オレの中では、やっぱりライガーがジュニアヘビー級では?1だよ。佐山(初代タイガーマスク)を超えたね。空中殺法でもな。まあ、最近はあまり飛ばなくなったけど。
そうそう、ライガーは日本で車の運転してるの? カルガリーで俺の車を運転しようとしたけどダメだった。シートを一番前まで動かしても、アクセルとブレーキに足が届かなかったんだから(笑い)。リッキー・フジとえべっさん(菊タロー)と3人で組まないかなあ……。足の短い3人で。
まあ、ライガーは世界中どこへ行ってもトップを取れることだけは間違いない。あいつはジュニアヘビー級の宝だよ。
◇ ◇ ◇
一方、ライガーもカルガリー時代のことを次のように語っている。
「初めての海外遠征はイギリスだったんだけど(1986年10月〜1987年5月)、春が終わる頃になると試合が減るんで、「それだったらカルガリーへ行ったら?」ということでイギリスから直接カナダに渡ったんですよ。
安達さんとお会いしたのは、その時が初めて。5月半ばから3か月ぐらい。暑くもなく、寒くもなく、一番いい時期ですよ。冬はあまりに寒くて、みんな「死にかけた」って言いますけど、僕はその時期にいなかったんで。世界のあちこちに行ってるけど、バンフ国立公園見た大自然なんて、僕が今まで見てきた中で一番きれいな景色でしたよ。夏だったけど、オーロラも見たし。
僕が行った時にはリッキー・フジがいて。ちょうど脳内出血を起こして手術して、リハビリを兼ねて一緒に練習してた頃で。そのあとに馳浩と笹崎さんがやって来ましたね。あと、デビル雅美さんと小松美加さんも来ましたね。みんなで安達さんの自宅のベースメントに住んで。イギリスでは1人でしたから、日本語で話す相手もいなかったけど、カルガリーでは周りは日本人ばっかりで。みんな交代でちゃんこ作ったり、近くのスーパーマーケットに買い出しに行って食材をカートごと家まで持って帰って、返さなかったり。いやあ、悪いことしてたなあ……(笑い)。年代も同じぐらいなんで、高校のクラブの寮の延長みたいな感じで楽しかったなあ……。日本食にも不自由しなかったしね。
安達さんの印象ですか? その頃はまだ体も大きかったし、怖いイメージがあったんですけど、優しくて親切な方で。一緒に車でサーキットしました。レスラーとしては大先輩で、コーチとしていろいろ教えてくれました。「とにかくやれ」「なんでできないんだ?」っていうんじゃなくて、「こうなるから、こうやるんだよ」「こうすれば、こうなるだ
ろ?」って、答えを教えてくれるんです。ストンピング一つにしてもね。プロとしての見せ方も教えてくれましたよ。あれほど細かく、本当の意味でプロレスの技術をキチッと教えてもらったのは、安達さんが初めてでした。日本人だけじゃなく外国人でも、安達さんに教えてもらった選手を見たらわかりますけど、みんな基礎がしっかりできてますよ。
安達さんも、安達さんの奥さん(一枝夫人)も、いちいち細かいこと言われないし。「せっかくカルガリーに来たんだから楽しみなさい」って。寮の管理人とおかみさんみたいな感じ。僕が寮長でね。精神的な修行なんて何もなくて、のびのびと楽しくやらせてもらいました。逆に安達さんの方が、僕たちのいたずらで、よっぽど精神的な修行になったんじゃないですか?(笑い)。
1回だけ、安達さんの奥さんに怒られたこちがありました。「試合でケガした」って電話したんです。ちょうどその日は僕がちゃんこ番だったんだけど、森村(リッキー・フジ)に「ちゃんこ作れないから代わってくれ」って。足を引きずって家に帰ったから、みんな心配してくれて。それで、ちゃんこを食べ終えて、片付けも終わったのを見計らって「ウソだよぉ〜。なんともないよぉ〜」ってやったら、奥さんに「みんな、これだけ心配してるのに、あんたは何でこんなことするのよ。そんな冗談は許さない」ってこっぴどく怒られました。怒られた記憶って、それだけですね。
安達さんはプロモーターだったスチュ・ハートさんから信頼されてましたから、その教えを受けてるってことで、馳もだけどハート兄弟(ロス、オーエン)とよく組ませてもらいましたし、バッドニュース・アレンや稲妻二郎さん、キューバン・アサシンとかとよく試合させてもらいました。トップで扱ってもらったんで、いい経験させてもらいました。
安達さんが亡くなった日(2010年4月20日)、ちょうど大阪で試合があったんで、試合後に線香をあげに行ったんですよ。そしてホテルに戻って寝てたら、窓を開けてないのに風が吹いてきて、枕元に人の気配がしたんです。「安達さんですか? お別れ言いに来てくれたんですか? ありがとうございました。安達さんでしょ?」って言ったら、気配がすうっと消えて。そのあと、はっきりと目が覚めたんです。夢だったのか何かわからないんですけど、そういうことがありました。僕はお別れを言いに来たんだと思ってるんですけど、もしかしたら、いたずらの仕返しをしに来たのかもしれないね(笑い)。
安達さんからもらった帽子があるんですよ、冬用の。ちょうど耳が覆われるやつで。まだ持ってます。それが形見ですね。
もし戻れるんだったら、あの頃に戻りたいですね。もちろん、あのメンバーがいたらですけど。まさに青春でしたね。あれからもうすぐ30年ですか。ここまでプロレスラーを続けて来れたっていうのは、安達さんに教わったからこそ。安達さんは僕の恩人です」
]]>2月22日(金) 先日、ABCラジオで収録した原悦生カメラマンのインタビューが「武田和歌子のピタッと。」のおける「ぴたっと。スポーツ」のコーナーでオンエアされた。
ゲストを迎えて最新のスポーツ情報をお伝えするコーナー。“スポーツカメラマン”としてご紹介したところ、日本代表が決勝まで進出したサッカーのアジアカップを現地で撮影していたこともあって興味を持っていただいたことからゲスト出演が決定したもの。
世界を舞台に闘う“森保ジャパン”が、ファインダー越しにどう映ったかが話題の中心となった一方で、被写体としてのアントニオ猪木とプロレス撮影時にハプニングなどが語られた。
番組で取材記者をゲストに迎えることは多いが、カメラマンは珍しいとあってインタビューを担当された武田和歌子アナも興味深かったのか、放送予定時間を超えるまで話は弾んだ。さすがにノーカットでオンエアするわけにはいかず、泣く泣くカットせざるを得なかったとか。
どの部分をカットするかはディレクターの判断。それによって内容は大きく上下する。収録に立ち会った者としてオンエアを聞いた印象は、「なかなかうまく編集しているな」。細かい言葉をうまくカットしてまとめられていた。
なお、オンエア部分はradikoのタイムフリー機能(有料)で番組放送の1週間後まで聴取可能。
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宴もたけなわ、沖縄帰りのオーナーが来店。あいさつすると「あ、どんどん使てや」。「おじいさんがファンなんです」と伝えた売り子さんとの記念撮影にも快く応じてくださった。さすが国民栄誉賞を断った男ですな。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、加古川から向こうの人がか帰られなくなる時間にやっとお開きとなった。
]]>2月12日(火) 某カメラマンのラジオ出演に同行。残念ながらスケジュールが合わず生放送とはならなかったが、担当者が“スポーツカメラマン”という業種に興味を持っていただいたことと、しかも決勝まで進んだアジアカップを撮影して帰国したというタイミングもあって実現。
さて、収録中に顔見知りの制作部長に来年の東京五輪に向けて提案したところ、「それやったら特番1本作りたいな。その案件、ちょっと預からせてください」との反応。調子に乗って「WWEの選手のインタビューしません?」とも。こちらも「できるんやったら」……。
そうこうしているうちに収録も終了。
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宴会タイトルは「加古川から向こうは帰られへん……」。
早速、知り合いに開催のお知らせを伝える。
]]>1月16日(水) 大阪城ホールに出向いて「OLD GUYS ROCK」沢田研二コンサート。昨年7月12日に続いての鑑賞。ドタキャンを期待もしたのだが、前回を上回る7,500人が集まって、無事、最後まで。途中のトークでは、「あの木村太郎から『沢田研二の時代を自分自身で幕を下ろした』とまで言われましたけど、とんだお門違いです。幕を下ろす気がないからドタキャンしたんです」と言って大きな拍手を浴びた。さらに「70歳になりました。古希です。もう大人を過ぎたんです。だから、大人げなくていいんです」と聴衆を笑わせた。
ただ、例のドタキャン事件後の会見がワイドショーで取り上げられ、「(今の)顔を知られてしまった」のは誤算だったらしい。ドタキャン後初の公演(昨年10月21日、大阪・狭山市)前日、「天満天神繁盛亭」に落語を鑑賞に出掛けた際、たまたま最前列席しか空いてなくて仕方なく着席。すると、いきなり某落語家に枕で、「いっぱいのお運びで。私はドタキャンいたしません」といじられたとか。ところが、その日は2階席を開放してなかったらしく、「あれで満員と言われてもねえ……」と笑いを誘った。
さすがに最前列で鑑賞していると演者の目に入ったようで、控室に戻ってから「沢田研二に似たヤツがいる」とウワサになったらしく、次の出番の落語家からは、「ご本人ですか?」と質問されたそうで。さすがにこれにはドキッ。黙っていたが、心の中では「本人やで」と言いたかったとか。
前回と同じメニュー。最後はあの曲で「さらば」と言わずに締めくくられた。
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早めに会場入りして取材準備。いろいろ行動範囲の制限はあるなかで、顔を合わせたスタッフ、レスラーと新年の挨拶を交わすと同時に、今後の取材などの仕込みに動く。
担当はバックステージ。
ヤングバックス=コメントなし。
Cody Rhodes=コメントなし。
KUSHIDA=コメントなし。
Kenny Omega=コメントなし。
いろいろ気になってることはあったのだが……あ、そういうことね。
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