元Fight野郎

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【2019.08.02 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
爆弾小僧

 12月6日(木) 新日プロ山形大会取材。

 
 ダイナマイト・キッドが亡くなったとの報を受け、会場に到着するや、デイビーボーイ・スミス・ジュニアの元へ。各メディアはライバルだった初代タイガーマスクや藤波辰爾のコメントを掲載していたが、タッグパートナーの息子だった彼の言葉を聞きたいと思ったから。顔を合わせた際は笑顔を見せていたスミスだったが、キッドの話題を振ると、しんみりした表情に。

 

 寄せられたコメントで「イギリスのマーティン・ジョーンズから電話があって、キッドサンが亡くなったと知らされた。ちょうどファンと食事をしているときで……。それからいろいろ情報をかき集めて、それが誤報でないとわかったときにはショックで、ぼう然としてしまった。それから何も手につかなくて、試合に臨むだけのコンディションを取り戻すことすら難しかった。キッドサンは多くのレスラーに影響を与えた。入院しているとは聞いていたんだけど、なかなか所在がつかめなくて。よほど体調が悪いんだろうなと思っていた。でも、会えてよかった。その時は映像で見たオールジャパンでのアジアタッグ戦(小橋健太、菊地毅組vsD・キッド、ジョニー・スミス組=1991年4月6日、大阪府立体育会館)の試合のことを話そうとしたんだけど、彼はよくわかってなかったようだった。結局、彼からその試合のことは聞けなかった。だけど、キッドサンの試合の中で俺の一番のお気に入りだってことだけは理解してくれたようだ。帰り際に『お見舞いに来てくれて喜んでた』って看護師から聞かされて、会いに行ってよかったと思ったよ」以外の部分は某メディアで……。

 

 キッドの様々なエピソードは、故ミスター・ヒトから聞かされた。「とにかくアイツのいたずらは命懸けなんだ。ただ、日本人相手には仕掛けてこなかったね」。その中からいくつかを紹介。

 
 カルガリー地区をマイクロバスで巡業している際、ドライバーに「これは眠気が襲ってこない薬だ」と言って睡眠薬を与えた。それを信じて服用したドライバーだが、当然、眠気が襲ってくる。ちょうどハイウエーを走行中に眠気に耐えられなくなり、ハンドルを握ったまま気を失った。ジム・ナイドハートが運転席から引っ張り出して事故にはならずに済んだ。

 

 キース・ハートに「ステロイドを射ってやる」と言って牛乳を注射。キースは1週間、40度近い高熱にうなされたという。

 

 また欧州遠征時には、ホームメードのケーキを手に会場入りしてふるまった。しかし、ヒトには「絶対に食べるなよ」と耳打ちしたというのも、現地で付き合っていた女性の赤ちゃんの便を練り込んで焼いたものだという。プロモーター(アクセル・データー)が気に食わないということで実行した悪戯。ちなみにアクセル・デイターはほかのレスラー、特にアメリカ、カナダからからの遠征組からも嫌われていた。

 

 ただ、日本人を悪戯のターゲットにすることはなかったという。

 

 キッドと言えば、全日プロへの電撃移籍は衝撃的だった。実は、新日本プロレス興行(のちのジャパン・プロレス)が全日プロと提携した手土産として引き抜いたもの。大塚直樹氏から連絡を受けたヒトはすぐにカルガリー空港に走り、、新日プロ参戦のため日本に向けて出発する寸前にキッドとデイビーボーイ・スミスをキャッチ。「ニュージャパンには行くな。ババのところへ行くことになってるから」と伝えたという。それを聞いたキッドは理由を聞くこともなく「わかった。ヒトが言うなら」と一言、手にしていた航空券とビザを破り捨てた。それだけヒトを信頼していた。

 

 ケガもあってカルガリーを離れる際に、前妻と離婚。その際も、全財産を与えて無一文でイギリスに帰った。

 

 「悪戯でも生き方でも、あいつはとにかくやることが極端」というのがヒトのキッド評。だからこそ、競争馬用のステロイドにまで手を出したのではないかと思われる。

 

 ステロイドを使用した後の筋肉隆々の姿ばかりが印象的だが、カナダに渡る前のキッドは細身で柔軟な体つき。ザック・セイバー・ジュニアをふた回りほど小さくしたような体形で、スピードとダイナミックかつアクロバットな動きで人気を博していた。ひねりを加えた空中殺法やキックこそ使わなかったが、初代タイガーマスクと同タイプ。だからこそ、あそこまでのライバル関係になったのだろう。
 

 78年4月にカナダ・カルガリーに渡って定着。国際プロレスに初来日を果たしたが、直後に新日プロとの争奪戦が展開されたほどの逸材だった。代名詞でもあるダイビング・ヘッドバットはその飛行距離もさることながら、現在主流となっている肩口を狙うのではなく、ダウンした相手の頭部を狙って放っていった。それだけに、時折、自身の額を割ることも。

 

 キッドの後を追って、デイビーボーイ・スミス、ジョニー・スミスが英国からカルガリーへ。ブレット・ハート、ジム・ナイドハートを加えたカルガリー一派が80年代後半から90年代の日本マット、米マットの中心に。その意味では、世界制圧の足掛かりとなったのはキッドだといっていいだろう。それが前述したスミスJr.の「キッドサンは多くのレスラーに影響を与えた」の言葉につながる。そのスミスJr.は、キッド死亡の方を受けた次の試合から、スタンド式ヘッドバット、トップロープからの雪崩式ブレーンバスターなど、キッドの得意技を使っている。
 

 日本でもそうだが、米東海岸でもセンセーションを巻き起こした初代タイガー。それは日本同様、北米初上陸となったMSGでの対戦相手がキッドだったことも大きな理由だ。
 

 カナダに渡った“英国の麒麟児”は、切れ味鋭いレスリングテクニックと“魔法の薬”による筋肉美で、文字通りリングを駆け抜けた。
 

 R.I.P……

【2018.12.07 Friday 04:03】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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【2019.08.02 Friday 04:03】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
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