元Fight野郎

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もう一つの阪神大震災60分フルタイム
  <以下は週刊プロレス2011年10月12日付(1598号)、連載「プロレス界で働く人々」より
  日付、団体との関係、役職などは当時のまま。>
 全日本プロレス大阪大会プロモーターであるザ・チケット・オフィスの伊藤正治代表は、旗揚げ戦前に新日本に入門したというから業界歴40年を迎える大ベテラン。ブランクなしでこれほど長く裏方一筋でプロレス界に携わってこられた方はいない。しかも、新日本→新日本プロレス興業→ジャパン・プロレス→全日本と歩いてきたとあって、新日本クーデター事件やジャパン・プロレス分裂、SWS旗揚げによる大量離脱といった日本マット界を揺るがす事件にも遭遇。そんな伊藤氏の業界歴においてもっとも印象に残っているのは、大会を2日後に控えて起こった阪神大震災。感動の60分フルタイムの舞台裏はどんな様子だったのか……。
 伊藤正治氏が新日本プロレスに入門したのは、旗揚げ戦が行われる前のこと。すでに練習生としていたのはグラン浜田とミスター・ポーゴぐらい。藤原喜明、小林邦昭が後輩になるというから、何も実績がない練習生としては第1号といってもいい存在。

 バトルロイヤルでプレデビューしたものの、ヒジのケガもあってプロレスラーを断念。欠場中に先乗りなど営業の手伝いをしていたこともあって、そのまま営業に転向した。
 その当時から大阪を担当していたというから、旧大阪府立体育会館での第1回IWGPを中心とする黄金時代を手掛けていたことになる。

 81年のクーデター事件を経て、83年12月に当時の営業部長だった大塚直樹氏が、営業部が独立する形で新日本プロレス興業を設立。伊藤氏も大塚氏に付いていく形で新日本プロレス興業へ。その後、維新軍と手を組んでジャパン・プロレスを旗揚げ。全日本の興業を手掛けるようになると、新日本との関係が切れた。

 ジャパン・プロレス時代には常務として長州力vs天龍源一郎シングル初対決や、60分フルタイムとなった長州vsジャンボ鶴田の大阪城ホール大会を担当。長州の新日本Uターンでジャパン・プロレスが分裂すると、永源遥氏の勧めで全日本の大阪大会のプロモーターに。それを機に独立して、『ザ・チケット・オフィス』の事務所を構えた。
 当時、大阪府立の近くのホテル南海(全日本の日本人選手の常宿だった)前、日本プロレス時代からの事務所をそのまま借り受けたが、新日本大阪事務所の隣。ライバル団体のオフィスが並ぶ珍しい光景に。ただ、ファンからすれば「ホテル南海の前に行けばプロレスのチケットが買える」ということで、名所にもなった。
 ジャイアント馬場さんとは特に契約書を交わすこともなく、定期的に大阪大会をプロモート。ジャパン・プロ分裂のマイナスを天龍革命が埋めた全日本だったが、SWS旗揚げによる大量離脱で危機に陥った。しかし中堅クラスがゴソッと抜けたことで、若手を引き上げざるを得ない状況に。ファンにとっても鶴龍対決に飽きてきたころだったのか、いい形で世代交代できた。当時はまだ地上波で放映されていたこともあって、四天王の闘いが広く伝わった。結果、彼らの頑張りで全日本は盛り返した。
 とはいうものの、最高のカードは東京で実現することが多く、大阪のファンは少なからず不満を抱いていた。最高峰である3冠ヘビー級選手権試合も、統一された(89年)直後は地方でも行われていたが、91年からは日本武道館でしか行われなくなった。タイトルの価値を高める企業戦略ではあったが、それに風穴を開けたのが伊藤氏。「ダメ元で馬場さんに頼んだところ、ギャラが高いと言われたけどOKが出た」。ちなみに3冠戦開催の際の興行ギャラは1000万円。プロモーターとしては、それに会場費や選手の宿泊費などの経費がかかる。さらに営業経費も加えると2000万円。
 「チケットがお金に替わればいいが、そうじゃなかったらただの紙切れ。もう、バクチっていうレベルじゃない」
 それでもファンのためにと3冠戦開催を決定。それが95年の「新春ジャイアント・シリーズ」だった。
 大阪、いや関西のファンが待ち望んでいた3冠戦だったことは、以下のエピソードが証明している。
 前年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」大阪大会の休憩前に3冠戦開催をアナウンスするや、チケット先行発売に長い列ができた。予想を上回る売れ行きで用意していた分では足りなくなり、後半戦が始まると事務所まで追加チケットを取りに走ったほど。しかも金額の高い席種から売れていったという。結果、伊藤氏の長い業界歴の中でも実券では最高の売れ行きの大会となった。
 そのときに限らず、四天王全盛期は先行発売の売り上げで数百万円の会場費を支払えたほど。「チャンピオン・カーニバル」や「最強タッグ」に限らず、通常のシリーズでも第2ではなくメイン競技場を使用していた当時が懐かしい。
 さて、四天王時代初の大阪3冠戦だったが、すんなりといかなかった。というのも、大会2日前に大地震が襲ったのだ。
 直撃ではなかったものの、テレビから流れてくる被害状況を見ると、とてもプロレスを見に行こうなんて状態ではない。交通網も寸断されており、仮に開催しても、どれだけの客が会場に来られるかわからない。
 地震直後から伊藤氏は全日本に連絡を取ろうとしたものの、電話回線がパンクしておりつながらない状態。夕方になってようやく大峡正男取締役とつながり、「体育館の状況はどうか? (大会が)できるかできないかを確認してほしい」との連絡を受けて体育館の被害状況を調べたところ、体育館側は開催可能との返事。それを報告したところ、馬場さんの“御大の一声”で強行するとなった。
 「中止になったらチケットの払い戻しだけで何百万円。そんなに手元にないので、開催してくれて助かった。でも、お客さんが来てくれるかどうか心配でしたし、会場に来れないファンへの対応をどうするかとかいろいろ大変でした。結局、未使用のチケットと引き換えに当日の試合を収録したビデオを送ることに。それだけでなく、試合中に大きな余震が来たらどうするかとか、お客さんの安全をどうやって確保するかとか、あの時は終わるまで寝られなかったですね」

 シリーズ出場している選手はバス移動なので大阪入りするのに支障なかったが、特別出場のジャンボ鶴田さんだけが当日入りすることに。
 ちなみに鶴田さんは肝炎で長期欠場していて、ようやく復帰したところ。ファンへのお年玉ではないが、復帰後初の大阪登場だった。
 しかし新幹線は京都で折り返し運転。京都で在来線に乗り換えないと大阪市内にはたどり着けない。そのため鶴田さんは空路で大阪入りすることになった。
 伊藤氏は関西空港まで迎えに行くことに。それまで鶴田さんと話す機会はなかったが、同い年ということから話がはずみ、会場までの車中で初めてゆっくり話したという。
 ちなみに鶴田さんはアメリカ遠征中に飛行機が乱気流に巻き込まれて墜落するんじゃないかと思った経験から飛行機嫌いに。国内はどんなに距離があっても鉄道で移動しており、「何年かぶりに飛行機に乗った」と語っていたそうだ。
 余談になるが、「意外と気さくなんだと思ったし、レスラーと違うまともさがあった」が伊藤氏が抱いた鶴田さんの印象。
 さすがに超満員とはならなかったが、それでも馬場さんと組んだ鶴田さんの久しぶりのファイトをはじめ、メインでは川田利明と小橋健太(当時)が、3冠戦史上初の60分フルタイムの激闘を展開。大きな混乱もなく、プロモーターとして「こんな時期にプロレスなんてとかいう人もいたでしょうけど、終わってから『今まで見た中で一番の試合でした』とか『震災で落ち込んでましたけど勇気をもらいました』など言ってくれたファンもいたし、やって正解だった」と振り返る。

「その後、馬場さんが被災者の家を訪れたり、淡路島でチャリティー大会を開催したりで、ファンが増えていったのは確かです。ファンのことを考えての地道な積み重ねが全日本なんだなぁって思いました」

 その後も大阪では年1回ペースで3冠戦が行われるようになり、王者交代劇や数々の激闘が繰り広げられた。
「いい試合をしてくれれば、先行発売の売れ行きもよかったですね。そういう意味で四天王時代はファンとの信頼関係がうまく作用していました」と伊藤氏。

 99年に馬場さんが亡くなってからもしばらくは好調を維持していた全日本の大阪大会だったが、三沢光晴さんが全日本を離脱する1年前ぐらいから興行成績も下がり始めた。「いまは耐えるとき」と無理をせず、メイン競技場からは手を引いて第2競技場のみをプロモート。
 最後に伊藤氏は、「付き合いで1回や2回はチケットを買ってもらえても、団体や選手に魅力がないと、次も見に行こうってならない。試合が面白ければ、1枚が2枚、2枚が4枚と少しずつでも増えていく。いくら選手にいい試合をしてもらいたくても、お客さんが入ってないところでは100%以上の力は出ないでしょう。90年代はお客さんが盛り上がって、それに選手が応える形。お客さんも余韻が冷めないうちに、次のチケットを買おうって。カードも何も決まってないのにチケットを買うって、それだけの信頼関係があってこそだと思うんです。大阪のファンは厳しいから、ちょっとでも期待に沿わないカードだったりすると、敏感に感じて“もういいわ”ってなるんです。昔の新日本のように期待感を持たせすぎて、いいときと悪いときのギャップが大きいっていうのもなんですけど(笑)。でも、終わった直後には批判してても、次こそはって思わせるのはすごいですけどね。でも、信頼関係を築いて裏切らないのが馬場さん時代からの全日本。全日本プロレスあってのプロモーターですから、全日本には頑張ってもらいたいですね」と締めくくった。
【2018.01.19 Friday 00:00】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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