元Fight野郎

一路九州

 7月7日(土) 始発から山陽新幹線は運転を見合わせている。運転再開の見込みは「早くても15:00」との情報。18:00までに現地入りしないといけないので、それまで待っていられない。

 
 相変わらず、福岡行きの便へ全便満席。長崎や鹿児島行きの便には多少空席があるものの、到着してからの足が確保されるかどうかは微妙。いったん東京に出てから福岡に向かうしかないか……と検索していたところ、松山経由なら17:30に福岡空港到着できるルートが出てきた。定刻通りに運行されるかどうか微妙だが、その時点ではこれが最善策。1席だけ空席もあるという。とりあえず予約を入れる。ただ、当日なので正規運賃。新幹線の3倍以上になるが、仕方ない。

 

 急いで大阪空港へ向かうと、早速「遅延」の表示。それでも松山空港での乗り継ぎには間に合いそう。迷ってしても仕方ないので、「行けばわかるさ」状態で航空券を購入。なんとか1時間遅れで出発。

 

 松山空港での乗り継ぎ時間は20分。いったん到着ゲートに出て、再びセキュリティーチェックを受けなければならないとのこと。保安検査場に急いで向かい、なんとか10分前には搭乗ゲートにたどり着いた。すると「使用機材の到着遅れで、出発が45分遅れます」のアナウンス。となると、18:00までに現場到着は不可能。といっても引き返すわけにはいかない。先方に連絡を入れて、使用機材の到着を待つ。

 
 結果、40分遅れで出発。18:20ごろに福岡空港に着陸。手荷物を引き取り、その足で会場に急行。なんとか1時間遅れで飛び込み、すぐに取材の準備をしてリングサイドへ。ちょうどアンドレザ・ジャイアントパンダがリングインしたところだった。

 

 前日の夜に陸路で博多に向かったビリーケン・キッドは、時間までに会場に到着することはできず。仕方なく欠場に。タッグ王座に挑戦する三原一晃は、知人が予約していた航空券を振り替えてもらって福岡入り。試合に穴をあけずに済んだという。

 

 全試合終了後、あらためて挨拶を交わした関係者からは、「よく来れましたね」と声をかけられた。10年目にして初の福岡国際センター進出。やはり豪雨の影響で観客動員は苦戦したものの、会場は地域に愛されていることが肌で感じられる素晴らしい雰囲気に包まれていた。

【2018.07.08 Sunday 03:28】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
豪雨襲来

 7月6日(金) 西日本を襲った豪雨で、始発から鉄道各社が運転を見合わせている。夕方になっても大半の路線が大幅な間引き運転をするのがやっとの状態。明日の運行も見通しが立たない。明日は博多へ行かなければならないのだが……。

 

 すでに指定席は確保しているのだが、時間通りの運転はまず見込めない。空路で福岡入りする手はあるのだが、すでに各航空会社とも全便満席状態。陸路を選択しようにも、山陽及び中国道はともに不通区間が。

 

 いろいろ考えても、どうしようもないので、天候の回復を祈るのみ。
 

【2018.07.07 Saturday 00:17】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
新社長

 6月20日(水) 新日プロいわき大会取材。

 

 取材の準備をしていると、ハワード・ジョージ・メイ新日プロ新社長が会場入り。開場前、取材準備が一段落したところで、スタッフに仲を取り持っていただき、新社長と名刺交換して挨拶。その後、雑談。せっかくだからと、思っていることをズケズケと伝える。
6・9大阪城ホールでリング上からファンに社長就任の挨拶をしたメイ社長だったが、「この業界って、どちらかというと排他的なんですよね。これまでも何人か外部から社長に就任されましたが、どこかファンは距離を置いていたんですよね。でも、メイ社長は受け入れられて。意外でしたね。通路をヤングライオンのように走ってリングインした瞬間、ファンとの間にあった壁が取り払われた感じで。それに、第一声が日本語だったでしょ? しかも訛りのないクリアな日本語で。あれもファンからすれば意外だったでしょうね。あの二つで一気に距離が縮まりましたね」と伝えると、「まあ、私はこの業界ではヤングライオンですから」「最初は英語で挨拶して、そのあと日本語で。“実は日本語もしゃべれるんですよ”ってアピールするのがいいっていうアドバイスもあったんですけど、リングに上がったときの感覚で決めました」との返事。

 

 逆に「今日は、どういうところを見たらいいですか?」と尋ねてこられたので、「本来、地方には地方のプロレスがあるんです。しかも、地方によってファンの好みは違ってるんです。地元の選手を応援するとか、クリーンな試合が好みとか、ケンカファイトが好みとか……。個人的には、その地方だけのストーリー展開があってもいいと思うんですけどね」など勝手な意見を伝える。

 

 開場後はファンと接していたメイ社長。ファン気質も変わったなあ……と感じた次第。
 

【2018.06.21 Thursday 01:17】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
超強戦闘機械終幕

 6月19日(火) 1枚の写真を手にスーパー・ストロング・マシン引退セレモニーが行われる後楽園ホールに向かう。

 

 会場入りすると、顔を合わせる関係者から地震の状況を尋ねられ、幸い自宅は大きな被害もなく、朝の通勤時間帯に起

こったこと、それによって交通がマヒして混乱が生じたことなどを伝える。

 

 セミファイナルが終了したところで、写真を取り出し、記者席にそっと置く。そして、メインのマシン引退記念試合。まずは増殖したマシン軍団が入場。その後、将軍KYワカマツに先導される形でS・S・マシンが姿を現す。相当、体調が悪く、会場前には関係者の間で「リングに上がるのもどうか……」という言葉が交わされていたが、ゆっくりした足取りでリングイン。やはりプロレスラーはリングを前にすると不思議な力が湧いてくるようで……。

 
 ○○が扮したスーパー・ストロング・マシン・ドンは、体形、動きが本家にそっくり。これにはホール後方で観戦していたタイガー服部レフェリーも苦笑い。試合では増殖した5人のマシンがS・S・マシンのシグニチャームーブを披露。本家以外に使い手のいない魔人風車固めで引退記念試合は幕を閉じた。

 

 一旦、バックステージに引き揚げてから引退セレモニーに移行。S・S・マシンとかかわりを持つ現役、OBが順次リングに上がってから花束が贈呈されたが、マスコミからの記念品贈呈の時間はなかった。マスコミからは写真パネルが贈られることが多かったが、その写真を選ぶのは楽しみだった。他社はベルト姿や思い出に残る試合から選んでいたが、個人的には海外武者修行時代の写真を選ぶことが多かった。その任を任されていたなら、やはりカルガリー時代の写真にしていただろうなあ……。

 

 セレモニーを終えたS・S・マシンはリングから飛び下りて姿を消した。それを見て、記者席に置いていた写真を引き揚げてバックステージへ。マスコミに囲まれて最後のコメントを発して控室に消えた。しばらくして素顔に戻ったS・S・マシン。そこで「最後、見ていただきました」とその写真を差し出した。セレモニー後はどこかしんみりした表情だったが、その瞬間、笑顔がこぼれた。そして、「ありがとうございました」と写真に向かって合掌。「ここまでやってこれたのは安達さんのおかげです」と言い残して会場を後にした。
 

【2018.06.20 Wednesday 01:35】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
超強機械へ…

 あの日、そのマスクマンは写真を手に大阪府立体育会館第2競技場のリング上にいた。静かに打ち鳴らされる10カウントゴングを聞いてバックステージに戻って来ると、記者に囲まれた。そして、こう口にした。

 

 「今日の昼過ぎにメールが1本届きまして、ミスター・ヒト、安達(勝治)さんが亡くなったという話です。私は知りませんが、平田という男が、とても悲しんでメールをくれました。27年ぐらい前ですか。彼はカルガリーで、安達の下で修行してました。プロレスの一からすべてをあの人に教えてもらったらしいです。朝から晩までつきっきりで、毎試合、必ず会場の隅で平田選手のファイトを見守り、毎日ダメ出しを出して、『こうしたらいい』『ああすればいい』というアドバイスも(あった)。彼にとって一番重要な1年間でした。私も悔しいです。もう1回、会いたかった。ご冥福を祈るだけです」

 

 2010年4月21日のことだった。

 

 そんなスーパー・ストロング・マシンのことを、カルガリーの師匠はこう語った……。
        ◇          ◇

 マシンは自分からカルガリーに来たんだよ。メキシコからオレの家(うち)に電話がかかって来てさ。メキシコで一緒だったジョージ(高野)とヒロ斉藤が先にカルガリーに来てたんだけど、1人になって寂しかったんじゃない? 後を追う形でやって来たよ。まあ、オレの方も2人いるのも3人いるのも同じだから、エアポートまで迎えに行ったよ。

 

 アイツってなかなかハンサムじゃない。オレは彼の顔を見て、これはインディアン(のキャラクター)にすればいいってピンときたよ。まあ、同じテリトリーに日本人が何人もいても仕方ないからね。

 

 そして(カルガリーに来た)次の日に頭をモヒカンに刈って、サニー・ツー・リバースとしてデビューさせたんだよ。でも、髪を刈ってるところを娘が見てて、「○○さんはインディアンじゃない!」って怒ってね、1カ月も口をきいてくれなかった(笑い)。

 

 彼のインディアン姿はピッタリでね。すぐに人気者になったよ。インディアン・リザベーションへ行ったらヒーローでね。酋長が下方にしていたトマホークを持って来て、「これを使ってくれ」ってプレゼントされてた(笑い)。

 

 誰ひとりとして彼がインディアンじゃないって疑う者はいなかったね。リング上でのダンスもサマになってたよ。オレが教えたというのに(笑い)。

 

 それにしても、英語が喋れないインディアンっていうのも珍しいよな。オレも「彼は父親がインディアンで、母親が日本人。カナダで生まれたけど、すぐに母親に日本に連れて帰られたんで、英語がわからないんだ」って説明したね。それでもみんな納得してるんだから、彼の変身は大成功だった。

 

 オレもいろいろアイデアを出してきたけど、彼のインディアン・レスラーは最高傑作だね。今からでも遅くないから、もう1回、モヒカンに戻してほしいね(笑い)。日本でも受けると思うよ。

 

 それでにしても彼は物静かな男だったよ。あまり大声を出して笑うってこともなかったし。そのわりには、しゃべると面白いジョークも言うんだよ。レスリングのタイプは違うけど、(ラッシャー)木村さんに似てるね。

 

 練習にしても1人で黙々とするタイプでね。カルガリーに来た時は90kgもなかったのに、1年後には110kgを超えてたんじゃないかな。」猪木さんがカルガリーに来た時もビックリしてたよ。

 

 あの頃から彼はレスリングがうまかったね。パンチひとつ、キックひとつをとっても、うまさではトップクラスだったね。ただ、あまりにうまいんで便利屋みたいに扱われて、かわいそうだったよ。器用貧乏とでもいうのかな。

 

 やっぱり彼はインディアン・レスラーの方がいいね。グレート・ムタみたいにたまに変身してみたらどうかな?

 

 彼は物静かなヤツだと言ったけど、悪口は1度も聞いたことがない。また、彼が悪口を言うのも聞いたことがないね。

 

 それに彼が怒ったところを見た覚えもほとんどない。「ほとんど」って言ったのは、俺が1度、怒られてるからなんだ(苦笑い)。

 

 とにかく彼は、真面目っていう印象が強いね。コツコツと見えないところで練習してたし。日本人にはない、ゴッツイいい体をしてるじゃない。そういえば、凱旋帰国したとき、マシンじゃない別のマスクマンに変身するはずだったんでしょ? あの体を見たら、そのキャラクターにピッタリだったと思うよ。

 

 英語が喋れないのにカルガリーでトップを取ったんだから、彼は海外で成功した方じゃないのかな。新日本プロレスにとって、マシンは大きな財産だよ。あんなうまいレスラーは、そうそういないんだから。でも、彼の素質を生かしきれてないっていうかね。素顔の方が、彼の持ち味を生かせると思うけど。でも、生みの親としてはやっぱりサニー・ツー・リバースに戻ってほしいね。人気も上がるだろうからね。

 

 そうそう、日本に帰って来てからの話だけど、ジョージと神宮で大ゲンカしたことがあったらしいよ。あの怒らない男がケンカしたほどだから、よっぽどのことがあったんだろうね。まあ、物静かな男ほど、怒ったら怖いということだよ。
        ◇         ◇
 そんな彼が今日、リングを降りる……。 

【2018.06.19 Tuesday 08:48】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
CALENDAR
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
SEARCH
PAGETOP