8月2日(金) ハーリー・レイスが亡くなったとの報が飛び込んできた。76歳。肺ガンで入院したとの情報が流れていたが、それが原因の合併症が死因となった。
“ハンサム”のニックネームから「美獣」と称されていたが、70年代から80年代前半は通算8度の王座に就いたNWA世界ヘビー級王座として活躍。スーパースター・ビリー・グラハム、ボブ・バックランドを相手に、2度にわたってWWFヘビー級王者と“統一戦”を行った歴史的レスラーでもある。まさに“ミスターNWA”。レイスのWWF移籍とともにNWAはクロケット・プロ独占状態になったのだから、レイスが去ったとともにNWAは終焉を迎えたといっていいだろう。
「ミスター・プロレス」「キング」とも称されるが、一番似合う称号は「親分」。JBエンジェルスがWWF(当時)をサーキットした際、彼女らに言い寄ってくる男子レスラーに対し、「大事な娘を預かってるんだ」と睨みを利かし、無言のうちに遠ざけていたという。決してウソではなく、JBの2人も「レイスさんが守ってくれました」と語っている。
リングを下りてからも業界に与える影響は大きく、2008年6月、永源遙がカリフラワー・アレイ・クラブでインターナショナルレスラーとして表彰されたのは、レイスの強い推薦によるものだった。
スピード狂でも知られるレイス。ハイウエーでは前の車にパンパーをつけて加速、200km/hで押したというエピソードも持つ。現役引退の原因となったモーターボート事故による負傷も、スピードの出し過ぎが原因だった。
レイスが得意としていたダイビング・ヘッドバットは、ミスター・ヒトから盗んだもの。肩口に当てるのではなく、大の字になっているレスラーの前頭部めがけて降下するのが特徴だった。
WWF移籍後の称号となった「キング」を受け継いだのがハク。タマ・トンガの父である。ともにケンカが強いという点も似ている。
2008年9月、ミズーリ州エルドンでのWLW−NOAH合同レスリングキャンプを取材した際、日本での写真を手土産に自残。日本プロレス時代のものも多数含まれており、そこに写っている日本人選手一人ひとりの印象を語っていたことが思い出される。日本プロレスを知る数少ない外国人レスラーだっただけに、親分の記憶を記録に残していないことが悔やまれる。
R.I.P…