元Fight野郎

巨笑堕つ…

  12月3日(日) 元新日本プロレスのドン荒川選手が約1カ月前に亡くなっていたと報じられた。

 

 新日プロ入団前にはアマレスの試合に出場して、ドロップキックを放って反則負けになるなど、八方破れの闘いは新日プロにおいても治外法権となる。

 

 黒のロングタイツ姿で体格も似ていたことから“前座の力道山”と称されるも、試合スタイルは似ても似つかず。ストロングスタイルを標榜する新日プロにあって、コミカルなファイトを展開。現在の“お笑いプロレス”の元祖的な存在で、菊タロー(初代えべっさん)にとっては永遠のライバル。ただ異なるのは、あくまで動きや技で笑わせるのであって、言葉で笑いを取るのではない点。

 

 前座戦線で激しいファイトを繰り広げていた栗栖正伸との試合は、同郷ということもあって“鹿児島選手権”と呼ばれていたが、“8・26夢のオールスター戦”におけるスネーク奄美との一騎打ちからをジャーマンスープレックスホールドで勝利したことから、荒川が鹿児島王者に就いたとされて(もちろん非公式)、栗栖との“前座の名勝負”につながっていった。

 

 1979年には約4カ月間、プエルトリコに遠征。現地でタッグ王座に就いたことで、新間寿営業本部長(当時)は「新日本プロレスのレスラーは、若手であっても海外ではすぐにチャンピオンになれるほどの実力の持ち主」と胸を張った。

 

 帰国後の本人の報告では、プエルトリコでは負け知らずで、あまりの強さに対戦相手がおらず、熊と闘わされたとのこと。さすがに熊には勝てなかった。

 

 ちょうど荒川が新日プロの前座戦線を沸かせているころ、フジテレビの「オレたちひょうきん族」が大ヒットしたことから、荒川のコミカルなプロレスは“ひょうきんプロレス”と呼ばれた。その一方で若手の壁となり、一時は荒川、魁勝司(北沢幹之)に勝てば海外遠征の切符を得られるとの暗黙の流れができていた。

 

 リング上同様、リングを下りてもムードメイカーで“宴会部長”と呼ばれていた。まだ新日・全日が冷戦時代だった頃、「プロレス大賞授賞式」が唯一、両団体の選手が顔を合わせる場だった。それぞれの団体の選手は距離を置いて、ホテルの宴会場の両端で集まっている中で、荒川だけは満面の笑顔で両団体の間を行ったり来たり。お願いされずとも、授賞式の締めの音頭も取っていたという話も……。

 

 とにかく誰とでも仲良くなるのが得意。それだけにタニマチも多かった。中華料理店で偶然、出くわした長嶋茂雄氏に臆することなく近づき、「一度、遊びに来なさい」との社交辞令を真に受けて、すぐに自宅に出掛けたという。さすがのミスターもその行動には驚いたが、SWSの東京ドーム大会に招待された際にはリングサイドで観戦した。

 

 大量離脱後にはコーチ役も任せられ、「今日はラインダンスだ」などユニークな練習メニューを考案。自身は三度の飯よりベンチプレスが好きで、200kg以上を挙げていた。トニー・アトラスが来日した際には後楽園ホールでベンチプロレスコンテストが開かれたが、日本側で残ったのは荒川だったが、さすがにミスターUSAには勝てなかった。

 

 荒川のベンチプレス信仰は度が過ぎていて、前田日明に「荒川さん、タックルがうまくなるにはどうしたらいいんですか?」と聞かれて、「ベンチプレスだ」と答えた話は有名。ただ、過ぎたるは及ばざるがごとし。あまりの重量を挙げたため、大胸筋を切断したこともある。

 

 そんな荒川だが、個人的に忘れられないことが一つ。というのも、初めて試合リポートを担当したのが荒川の試合だったからだ。SWSでのリング復帰戦(1990年11月22日=浜松アリーナ、ドン荒川vs片山明)。わずか30行ほどの原稿だったが、「これじゃ、荒川の試合の面白さが伝わらない」と何度も書き直しを命じられたことを思い出す。


 ひょうきんプロレスよ永遠なれ……。

 R.I.P。

 

【2017.12.03 Sunday 17:22】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
大御所誘

 11月8日(水) ふらりと通りがかりの餃子店へ。といっても、何度か利用したことがある店。

 

 実はここのオーナー、三橋美智也や淡谷のり子のバックミュージシャンを務めたことがある大御所。「1963年にエレキギターが日本に初めて持ち込まれて、その時に真っ先に買って弾いた。当時で20万円ぐらいやった」と振り返る。バンドを解散してからはスタジオミュージシャンやバックミュージシャンとして活動。「関西テレビが初めての深夜番組として『ナイトパンチ』を始めた。それに出ることになって……」など。

 

 彼がオーナーを務める餃子店には元ザ・タイガースのメンバーをはじめ、ミュージシャンが数多く訪れるとか。

 

 ミュージシャンとしては関西制作のほとんどのTV番組に出演、CMソングも手掛け、60歳になってから俳優を目指してTVやVシネマにも出演するなど、まだまだバイタリティーあふれる70代。


 また、11月からローカルFM局でメインパーソナリティーに起用された番組をスタートしたそうで、「ゲストとして出てよ」と誘われた。スケジュールさえ合えば、ぜひ……。

 

 「いろんなことあった。何回も騙されたしね。もう、好きなことやろうと決めた」という餃子店の大将。先月はギターとベースだけで演奏会を開いたという。「台風で大変やったけど、きてくれたお客さんには喜んで帰ってもらわんとね。さすがに疲れて、終わってから10日、楽器を手にせんかった」。

 

 音楽界だけでなく、TV業界も見てきているだけに、興味深い話は尽きない。それだけに“裏側から見た舞台裏”記録として残したいなあと思った次第。

 

 そんなこんな話していると、「80歳になったら、本書こかなと思ってる。その時は、頼むわ」と言われた。もちろんお断りする理由などない。

 

 20年後、こんな男になりたいなあと思わせる“やんちゃな高齢者”……。
 

【2017.11.09 Thursday 02:25】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
確認言

  10月29日(日) ドラディション大阪大会取材。


 台風22号が西日本を直撃していることもあって、前夜、宿泊した小田原から早朝に移動。雨、強風の影響もなく、定刻に新大阪駅に到着。そのままATCホールに移動すると相当早く着くので、軽く朝食をとってから会場へ。会場入りしてからは、取材以外の要件も仰せつかっていたので、ターゲットの選手に声をかける。

 

 さて、この日に取材の主目的は長州力に関するある件を確認すること。とはいうものの、控室からなかなか姿を見せないだけに、試合前に接触を試みることは困難。いろいろと策を講じるも、姿を見かけたのは試合直前。全身から“オレに近づくな”オーラを発しているので、さすがにこのタイミングでは声をかけられない。勝負は試合後……。

 

 ちなみにバックステージでは、仮面貴族に気分良くリングに向かってもらうべく、機嫌を損ねないように気遣いが半端でなかったとか。

 

 さて試合後だが、長州は一足先にリングを下りて引き揚げ、藤波辰爾、ミル・マスカラスとのスリーショットでのコメントを出さず。結果、接触は失敗に終わったが、チラッと耳に入った言葉から必要案件の確認は取れた。その一言で原稿が書ける……。
 

 

【2017.10.30 Monday 00:08】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
飛龍歴史街道

  9月17日(日) 藤波辰爾ランチトークショー当日。


 台風直撃が懸念されながらも、イベント開始までは、どんよりした曇り空ながらも大阪市内はなんとか雨が降らず。濡れることなく、会場となった大阪キャッスルホテルにお越しになれて、まずはひと安心。

 

 それでも、遠方から来られる予定の方は、早々とJRが運転を見合わせると発表したためやむなくキャンセルせざるを得なかった。一方で、前日に藤波さんが出演したABCラジオ「征平・吉弥の土曜も全開!」を聞いて参加されたファンがいたことはうれしい限り。事情が事情とあって、当日になっての人数変更に対応していただいたホテル側に感謝。

 

 第1部はランチタイム。藤波さんに乾杯の音頭を取っていただき、食事が一段落したころを見計らって、藤波さんが各テーブルを回って、サインとツーショット撮影に対応。そして休憩を挟んで第2部へ。こちらは2時間たっぷり、ノンストップで1970年の日本プロレス入門からの話を聞かせていただいた。


 プロにMCをお願いしたのはいいが、アシスタントとして口を挟むタイミングがなかなか見つからない。もっと突っ込みたかったが、中途半端に終わったのが反省材料。

 

 それでも、「藤波さんから見たジャイアント馬場」「馬場さんと猪木さんの本当の関係」「日プロ時代の巡業風景」「西ドイツ遠征での生活」「フロリダのゴッチ宅での生活」「アメリカのレスラー・関係者の間における猪木vsモハメド・アリ戦の評判」「“かませ犬事件”が勃発した後楽園ホールでの試合前の控室の様子」「反旗を翻した長州力の本心」など、これまであまり話されていないことをたっぷり公開していただいた。藤波さん自身、「それ聞かれたの初めて」という話もあり、「あまり話したことないから忘れてるかと思ったけど、話していくうちにだんだん思い出した。それも、その光景が頭に浮かんできた」と振り返ったほど内容が濃いトークに。集まったファンも興味深く聞いていただけて、なんとか乗り切った。

 

 来場者プレゼントは、藤波さん自身、「書くのは何十年ぶりかな?」と言うほどの代物。事前の打ち合わせなしに、“21世紀に1枚しかないお宝”を目の前で作っていただいた。

 

 さすがに47年間すべてを話すには2時間では時間が足りず。

 

 “飛龍歴史街道”の続編も企画したいところだ。

【2017.09.18 Monday 03:53】 author : 元Fight野郎 | - | comments(1) | trackbacks(0) |
企画行事

 
 8月30日(水) お手伝いすることになったイベントのポスターが印刷されてきた。早速、知り合いの店を回って“営業活動”。といっても、掲示していただくだけなのだが……。


 それと同時に、内容も考えなければならない。それを期待されているファンの方々には申し訳ないのだが、極力、写真撮影やサインに時間を割きたくないと考えていたところ、ホテル側も協力的で、2部制で開催できることになった。おかげで、トークは時間枠いっぱい、たっぷり語っていただける。

 

 決して爆弾発言するタイプでないのだが、「藤波さんから見た馬場さんと猪木さんの本当に関係」など、“ここだけの話”を掘り起こそうと悪だくみ中。MCは時間が読める方にお任せして、私はアシスタントに徹する腹積もり。というか、横からチャチャを入れる役。

 

 現時点で、頭に描いていることをチラッと知人に明かしたところ、「行きたいわあ……。そんな話、プロレス好きの芸人が泣いて喜ぶで」とのこと。それを聞いて、「3年間、楽屋でプロレスの話題が尽きない“ネタ帳”」になるようなイベントに仕上げてやろうと気合が入る。というわけで、現在、“構成作家モード”に突入中。

 

 それでも47年にも及ぶ藤波さんのプロレス人生を語り尽くすには2時間程度では時間が足りないのは明らか。広く浅くいくか、とことん深く突き詰めるか……。

 

 プレゼントは企画していないが、21世紀に1つしかないものをその場でお願いして、来場者に抽選でプレゼントしようかな? まあ、ほかにもやってみたいことはいっぱいあるのだが……。

 

 そこそこファンを集めても、手元に残るどころか吐き出し覚悟。前借りする退職金もない(というか、前借りする先がない)し、だからといって似顔絵イベントやタニマチチケットの発売で穴埋めする気もない。とにもかくにも、普通のことをしてもオモロないので、“一言多い週刊ファイト”らしく、ひとひねりしたイベントに仕立て上げよう。

【2017.08.30 Wednesday 19:17】 author : 元Fight野郎 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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